出典:gooニュース
昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 吉田拓郎(下)演歌歌手からアイドル、都会の大人の女性まで…さまざまな楽曲を提供 何でもござれのすさまじい引き出しの多さ
かまやつひろしの「我がよき友よ」(1975年、吉田拓郎作詞作曲)は当時、新しい宴会ソングとしてみんな輪になって歌ったものだ。かぐや姫の「神田川」(73年)の時代背景と同時期だから、この2曲で「神田川よき友よ」なんて映画ができそうである。姉の好きな歌謡曲をよく聴いていた吉田拓郎は高校時代、友人に誘われて高校生バンドのエレキギターの演奏を見て「僕もこれでやろう」と決めたそうだ。その後
昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 小椋佳(下)東大大学院で哲学専攻、卒業後は長年銀行マンとの二足のわらじ 徹夜明けでも出勤する強烈なパワーの持ち主
小椋佳は1971年、映画「初めての旅」に「しおさいの歌」が採用され、アルバム「青春~砂漠の少年~」でデビュー。当時は珍しいアルバムデビューだった。東大卒の銀行マンということで、音楽業界では噂になっていた。ジャケット写真には顔がなかった。柔らかい歌声と楽曲がなんともロマンチックの世界を醸し出す。顔が見えないからいっそう想像力が膨らんだものだ。銀行への就職が決まり、寺山修司
江川卓が稀代のヒットメーカーに投じた幻の一球 空振りした田尾安志は呆然と立ち尽くした
連載 怪物・江川卓伝~田尾安志だからこそ知る大エースの弱さ(後編) 田尾安志は稀代のヒットメーカーとして、80年代前半のセ・リーグを席巻するほどの好打者だった。あのイチローが小学生の頃に憧れた選手だけあって、引っ張ってよし、流してよしの、広角打法を絵に描いたようなバッティングで、毎年のように首位打者争いを演じてきた。
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