・・・卒業後物理学科の聴講に出たり、ベルリン留学中かの地の若い学生の中に交じってブラジウス教授受持の物理実験の初歩のコースを取ったりした事実は、この特徴の由来を想像させるものである。工学部の課目中に物理実験を加えるようになったのも同君並びに同志の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ ベルリンの下宿はノーレンドルフの辻に近いガイスベルク街にあって、年老いた主婦は陸軍将官の未亡人であった。ひどくいばったばあさんであったがコーヒーはよいコーヒーをのませてくれた。ここの二階で毎朝寝巻のままで窓前にそびゆるガスアンシュタル・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・で思い出すのはベルリンに住んではじめての聖霊降臨祭の日に近所の家々の入口の軒に白樺の折枝を挿すのを見て、不思議なことだと思って二、三の人に聞いてみたが、どうした由来によるものか分らなかった。ただ何となく軒端に菖蒲を葺いた郷国の古俗を想い浮べ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・郵船会社の汽船は半分荷物船だから船足がおそいのに、なぜそれをえらんだのかと私が聞いたら、先生はいくら長く海の中に浮いていても苦にはならない、それよりも日本からベルリンまで十五日で行けるとか十四日で着けるとかいって、旅行が一日でも早くできるの・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・この人はその頃まだ三十そこらの年輩の人であった。ベルリンでロッチェの晩年の講義を聞いたとかいうので、全くロッチェ学派であった。哲学概論といっても、ロッチェ哲学の梗概に過ぎなかった。その頃ドイツ人でも英語で講義した。中々元気のよい講義をする人・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・幼年時代を、たのしく愛と芸術的な空気にみちたトーマス・マンの家庭に育って、十八歳で学校を卒業すると、ベルリンへ出て、マックス・ラインハルトの弟子になった。ラインハルトといえばドイツの近代劇と演出の泰斗である。 ラインハルトの下で女優とな・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・一九二九年の春から十二月初旬までパリ、ロンドン、ベルリンなどに行ったが。 モスクワでの生活と、その生活の感銘をもって比較しずにいられなかったロンドンやパリ、ベルリンの生活から、作者は真に資本主義社会の生活と社会主義社会での生活との相異を・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・ この間何かで、ベルリンのピスカトールが、ブルガーコフのモスクワで上演禁止になった作品を演出する計画をたてているというようなうわさをよんだ。 これはどうしたことだろうか? トロツキーが暗にほのめかすように、ソヴェトは天才を生かさない・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・経済矛盾の大きい社会ほど、売淫は多様広汎になって来る。ベルリンに、日本に、売笑のあらゆる形態が生れ出ていることは、ファシズムの残忍非道な生活破壊の干潟の光景である。独善的に民族の優越性や民族文化を誇張したファシズム治下の国々が、ほかならぬそ・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・父の五十五回目の誕生日のとき、ベルリン大学にいた十九歳のカールはお祝として、それ迄につくった四十篇の詩と、悲劇の一幕と、喜劇小説の数章とをまとめて「永久の愛のわずかなしるしとして」この高貴な人がらをもつ父に贈った。或る人はいっている。カール・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
出典:青空文庫