・・・まず門を入ったら胸騒ぎがしたとか、格子を開ける時にベルが鳴ってますます驚いたとか、頼むと案内を乞うておきながら取次に出て来た下女が不在だと言ってくれればよかったと沓脱の前で感じたとか、それが御宅ですという一言で急に帰りたい心持に変化したとか・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・その女宣教師も知った人であり、一、二度も私の家に来たこともある人ではあったのだ。ベルを押し、請ぜられて応接間に入り、暫く待っていた。無論応接間の様子などユンケル氏のそれと似もつかぬのであるが、それでも自分には少しも気がつかなかった、全くユン・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・ 見張りで、ベルをガラン、ガランと振り始めた。吹雪の呻りとベルの音とが、妙に淋しくこんがらかって、流れて行った。 ジゴマ帽から、目と口と丈け出した五人の怪物見たいな坑夫たちは、ベルが急調になって来て、一度中絶するのを、耳を澄まし、肩・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ オオビュルナンは階段を登ってベルを鳴らした。戸の内で囁く声と足音とがして、しばらくしてから戸が開いた。出て来たのは三十歳ばかりの下女で、人を馬鹿にしたような顔をして客を見ている。「ジネストの奥さんはおいでかね。」 下女は黙って・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 川下の向う岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸みるように風に・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・おい、さあ、早くベルを鳴らせ。今日はそこが日当りがいいから、そこのとこの草を刈れ。」やまねこは巻たばこを投げすてて、大いそぎで馬車別当にいいつけました。馬車別当もたいへんあわてて、腰から大きな鎌をとりだして、ざっくざっくと、やまねこの前のと・・・ 宮沢賢治 「どんぐりと山猫」
・・・ S子の顔を見るまでは落つけないのだから―― 今ベルがなるか今ベルがなるかと聞耳をたてて居る。 ジジー! ベルがなる。 私は玄関に飛び出す。 見るとS子ばかりじゃあなく、T子もA子も来た。「さあ早く御上んなさい。・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 彼が寝台の裾の方の窓枠に載っているシクラメンの鉢を見ながら此様な事を考えていた時、彼方の廊下で激しく電話のベルが鳴り渡った。 れんがとり次いでいる声がとぎれとぎれに聞えた。程なく、彼女は、室の内側に開く扉のかげにはりついたような形・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・それがどんな脚本かと云うと、censure の可笑しい程厳しいウィインやベルリンで、書籍としての発行を許しているばかりではない、舞台での興行を平気でさせている、頗る甘い脚本であった。 しかしそれは三面記者の書いた事である。木村は新聞社の・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・女房は銚子を忙しげに受け取って、女中に「用があればベルを鳴らすよ、ちりんちりんを鳴らすよ、あっちへ行ってお出」と云って、障子を締めた。 新聞記者は詞を続いだ。「それは好いが、先生自分で鞭を持って、ひゅあひゅあしょあしょあとかなんとか云っ・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫