・・・年は十九か、二十にはまだなるまいと思われるが、それにしても思いきってはでな下町作りで、頭は結綿にモール細工の前まえざし、羽織はなしで友禅の腹合せ、着物は滝縞の糸織らしい。「ねえ金さん、それならお気に入るでしょう?」とお光は笑いながら言っ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・のっぺりの中へ少しこまこまと金銀紫銅のモール。昼食か、そこへおきな。 三 黄は睨み朱は吼える、プルシアンブルーはうめく。鏝で勢いよくきゅうとなでて、ちりちりぱっとくくりをつけて、パイプをくわえて考え込んで、モ・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・さっきの青いのは可成大きなはんの木でしたが、その梢からはたくさんのモールが張られてその葉まできらきらひかりながらゆれていました。その上にはいろいろな蝶や蛾が列になってぐるぐるぐるぐる輪をかいていたのです。 うつくしい夏のそらには銀河がい・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・金モール細工をする人、刺繍をする人、さけた布地をつぐ専門家、大体それは女の仕事であった。或は、立って働くには不便な不具の男の仕事とされた。アンデルセンの「絵のない絵本」の一番初めの話は、高い屋根裏の部屋で朝から晩までモール刺繍をして暮してい・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・顔色や鬚の黒いことで付けたあだ名の「モール」と呼んだ。若い革命家たちがみんな彼を「マルクスのお父さん」と呼んでいるのに。「マルクス家の軸」であるレンシェンが腕に下げて来るドイツ風の大籠の中の大きい焼肉のかたまり。ゆく先で手に入れる一寸し・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ふりかえって見ると、銀モールの太い紐をかけた潰し島田に白博多の帯をしめた浴衣姿の芸者がいて、男はその芸者屋の主人という風体である。絞りの筒っぽで、縮緬の兵児帯を尻の先にグルグル巻きにしている。「ストライキをやってるってえから……電車動い・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・そこには詰襟のフロックコートへ銀モールをつけたような制服の守衛とくすんだ色の上被りをつけた四十前後の女のひとが二三人いて、婦人傍聴人は一人一人その女のひとがまたすっかり帯の下へまで手を入れて調べるのであった。財布もここでは出した。外からさわ・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
出典:青空文庫