・・・ ヨーロッパ大戦後の、万人の福利を希うデモクラシーの思想につれて、民衆の芸術を求める機運が起って『種蒔く人』が日本文学の歴史の上に一つの黎明を告げながら発刊されたのは大正十一年であった。ロマンティックな傾向に立って文学的歩み出しをしてい・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・の連中がさかんにトルストイ、ロマン・ローラン、ロダンなどを紹介し、芸術の全部に人類、愛、正義、という文字が鳴りひびいていた時代だ。 当然、十八歳の作者は、その影響のもとにある。その小説が、いわゆる恋愛ものでないのが、当時一般の注意をひい・・・ 宮本百合子 「「処女作」より前の処女作」
・・・のあとは大したもののないモーパッサンが数種出されていて、ロマン・ローランやマルタン・デュ・ガールがよまれていないのは奇妙な気がした。メリメの面白さは、その手法とともにソヴェト作家に与えるもののあることが理解されたが、マルセル・プルーストは、・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・フランスのロマン・ローランをはじめ多くの人類平和を守ろうとする人々はドイツのトマス・マンその他の平和を愛する人々と一つ方向にむすばれたし、オーストリアのすぐれた作家ルドウィッヒ・レーン「マリ・アントアネット」その他の伝記で日本の女性にもした・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・ 藤村が文学の仕事に入った頃、日本の文学はロマンチシズムの潮流に動かされていた。当時の文学傾向がそうであったと云うばかりでなく、また、藤村自身が二十歳を越したばかりの多感な時代にあったというばかりでなく、彼の処女詩集『若菜集』につづく四・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・主としてジュール・ロマンの「ヨーロッパの七つの謎」の書評であり、資本主義国家が第一次大戦後欧州の社会主義化をおそれて、ナチスに投資したことがどれほどの悲劇を招く原因となったかということ、また、ジュール・ロマンの「善意の人々」は理性的な方法を・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 怪物 ステファン・ツワイクはフーシェを、一人のロマン的人物として定型した。――次から次へと裏切らずにはいられない悲喜劇的性格として。ツワイクによってこういう風に主観化されうすめられたフーシェとバルザックが描い・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・フランスで文化擁護の大会が持たれたりしたことは、ロマン・ローランの最近の文化的活動の傾向と共にはっきり我々に示されている。 ドイツでは、またおのずから違った形で現れている。ヒットラー政権の下では、自由主義的な芸術家が国外へ追放され、政治・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムの諸相」
・・・たとえばトルストイが『アンナ・カレーニナ』を書き、『戦争と平和』の中でナターシャとかアンドレー公夫人とか、それから公爵令嬢マリアなどを、あんなにいきいき書けたことはすでに知れわたっていることだし、ロマン・ローランは『ジャン・クリストフ』の中・・・ 宮本百合子 「不満と希望」
・・・Zola が Le Roman expエクスペリマンタル で発表したような自然主義と同じだとは云われないが、また同じでないとも云われない。兎に角因襲を脱して、自然に復ろうとする文芸上の運動なのである。 自然主義の小説というものの内容で、・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
出典:青空文庫