・・・日本もフランスも共に病体であり、不安と混乱の渦中にあり、ことに若きジェネレーションはもはや伝統というヴェールに包まれた既成の観念に、疑義を抱いて、虚無に陥っている。そのような状態がフランスではエグジスタンシアリスムという一つの思想的必然をう・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 盲腸という無用の長物に似た神秘のヴェールを切り取る外科手術! 好奇心は満足され、自虐の喜悦、そして「美貌」という素晴らしい子を孕む。しかし必ず死ぬと決った手術だ。 やはり宮枝は慄く、男はみな殺人魔。柔道を習いに宮枝は通った。社交ダンス・・・ 織田作之助 「好奇心」
・・・ 夕方になって池の面が薄い霧のヴェールに蔽われるころになると何かしらほのかな花の匂いが一面に立ちこめる。恰度月見草が一時に開くころである。咲いた月見草の花を取って嗅いでみてもそんな匂いはしない。あるいはこの花の咲く瞬間に放散する匂いでは・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・天性からも、また隠遁的な学者としての生活からも、元来イーゴイストである彼の小自我は、その上におおっている青白い病のヴェールを通して世界を見ていた。 もっとも彼がこう思ったのはもう一つの理由があった。大学の二年から三年に移った夏休みに、呼・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・その岩塊の頭を包むヴェールのように灰砂の斜面がなめらかにすそを引いてその上に細かく刺繍をおいたように、オンタデや虎杖やみね柳やいろいろの矮草が散点している。 一合目の鳥居の近くに一等水準点がある。深さ一メートルの四角なコンクリートの柱の・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・近づくと帽子を脱いで、その黒い鼻のヴェールを取りはずしはしたが、いっこう見覚えのない顔である。「私はNの兄ですが、いつかお尋ねした時はおかげんが悪いというのでお目にかかれませんでして」と言う。ちっとも覚えがないし、第一自分の近い交遊の範囲内・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ やっぱり浅間が爆発したのだろうと思ってすぐにホテルの西側の屋上露台へ出て浅間のほうをながめたがあいにく山頂には密雲のヴェールがひっかかっていて何も見えない。しかし山頂から視角にしてほぼ十度ぐらいから以上の空はよく晴れていたから、今に噴・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ガラリと土間の障子が開いて、古びた水色ヴェールを喉に巻きつけた女が大きな皿を袖口に引こめた手で抱えて半身を現した。「五十銭だよ」 生欠伸をする声が内部でした。「あああ」 そのような女役者が夜になると山中鹿之助を演じた。「・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・このとき、トルストイは、不幸なアンナが切迫した愛の思い、屈辱感、憎悪と悲しみとの混乱のなかで、カレーニンの玄関に入ったときヴェールを脱ぐだろうか脱がないだろうか、外套はどうするだろうと、作者トルストイが何日も苦心したということが伝えられてい・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ 変てこなヴェールをかぶった五人の女だ。その五人の女が、全然古風な、運命のつかわしめみたいな踊りをクネクネ踊っていると、舞台の奥へ、耕作用トラクターと数人の踊り子が出て来る。入りまじって踊り出す。トラクターが出たから農村の集団化を意味しよう・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
出典:青空文庫