・・・ あとは、かず枝の叔父に事情を打ち明けて一切をたのんだ。無口な叔父は、「残念だなあ。」 といかにも、残念そうにしていた。 叔父がかず枝を連れてかえって、叔父の家に引きとり、「かず枝のやつ、宿の娘みたいに、夜寝るときは、亭・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ さて一切の用件を話して聞せた。 それを聞いたチルナウエルには、なぜそんな事をさせられるのだかは、分からないが、どんな事をすれば好いと云うことだけは、すっかり飲み込めた。チルナウエルも気の利いた男でポルジイも物をはっきり言う男だから・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 勝負事には一切見向かない。蒐集癖も皆無である。学者の中で彼ほど書物の所有に冷淡な人も少ないと云われている。尤も彼のような根本的に新しい仕事に参考になる文献の数は比較的極めて少数である事は当然である。いわゆるオーソリティは彼自身の頭蓋骨・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・他に兵事義会から十円……それから大将の屋敷から十円、秋山大尉の親御から五円……何でも一切で百円はござんしたろう。 それから、確か二十三日の日でござえんしたろう、×××大将の若旦那、これはその時分の三本筋でしてね、つまり綾子さんの弟御に当・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨を消してしまって谷一重のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 聞えないどころか、利平の全神経は、たった一枚の塀をへだてて、隣りの争議団本部で起る一切の物音に対して、測候所の風見の矢のように動いているのだ。 ナ、何を馬鹿な、俺は仮にも職長だ、会社の信任を負い、また一面、奴らの信頼を荷のうて、数・・・ 徳永直 「眼」
・・・健全なる某帝国の法律が恋愛と婦人に関する一切の芸術をポルノグラフィイと見なすのも思えば無理もない次第である――議論が思わず岐路へそれた――妾宅の主人たる珍々先生はかくの如くに社会の輿論の極端にも厳格枯淡偏狭単一なるに反して、これはまた極端に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・そうすると今まで遣ったその人の一切の事が非難せられる。同じ事を同じように遣っても、結果に行って好ければ成功だというが、同じ事をしても結果に行って悪いと、直ぐにあの人の遣口は悪いという。その遣方の実際を見ないで、結果ばかりを見ていうのである。・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・他力といわず、自力といわず、一切の宗教はこの愚禿の二字を味うに外ならぬのである。 しかし右のようにいえば、愚禿の二字は独り真宗に限った訳でもないようであるが、真宗は特にこの方面に着目した宗教である、愚人、悪人を正因とした宗教である。同じ・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・つまりその本当の装幀は、一切読者自身の自由意志に任かすのである。それによつて読者は、正に彼自身の理解した「彼自身の著者」を、いつも「彼自身の趣味」によつて自由に完全に装幀することができるであらう。かくてこそ書物の著者は、正に読者の生活に「活・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
出典:青空文庫