・・・ただ半蔵が百姓の一揆を理解しても、或はセイタを背負うても、自身の「限界を越えることは出来ぬのである」とだけ書きすてず、何故それを越え得ず、越えなかったのはどの点だ、と説明すべきだったと思う。労働者のやるようなことをやったって労働者じゃない、・・・ 宮本百合子 「「夜明け前」についての私信」
・・・が、一揆的な反抗は成功しないで捕われ、モスクワへ連れて来られた上今も赤い広場にある首切台で、処刑された。 室が、一つ一つ進むにつれ、だんだん面白い写真がふえて来る。有名な十二月党の革命的計画についての調書の一部、処刑された数人の党員・・・ 宮本百合子 「ロシアの過去を物語る革命博物館を観る」
・・・徳川将軍は名君の誉れの高い三代目の家光で、島原一揆のとき賊将天草四郎時貞を討ち取って大功を立てた忠利の身の上を気づかい、三月二十日には松平伊豆守、阿部豊後守、阿部対馬守の連名の沙汰書を作らせ、針医以策というものを、京都から下向させる。続いて・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 家康が武田の旧臣を身方に招き寄せている最中に、小田原の北条新九郎氏直が甲斐の一揆をかたらって攻めて来た。家康は古府まで出張って、八千足らずの勢をもって北条の五万の兵と対陣した。この時佐橋甚五郎は若武者仲間の水野藤十郎勝成といっしょに若・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・正長、永享の土一揆は彼の三十歳近いころの出来事であり、嘉吉の土一揆、民衆の強要による一国平均の沙汰は、彼の三十九歳の時のことで、民衆の運動は彼の熟知していたところであるが、彼にとってはそれはただ悲しむべき秩序の破壊にすぎなかったであろう。今・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫