・・・ 一昨年の春わたくしは森春濤の墓を掃いに日暮里の経王寺に赴いた時、その門内に一樹の老桜の、幹は半から摧かれていながら猶全く枯死せず、細い若枝の尖に花をつけているのを見た。また今年の春には谷中瑞輪寺に杉本樗園の墓を尋ねた時、門内の桜は既に・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 舞台で女の裸体を見せるようになった事をわたくしが初めて人から聞伝えたのは、一昨年の秋頃、利根川汎濫の噂のあった頃である。新宿の帝都座で、モデルの女を雇い大きな額ぶちの後に立ったり臥たりさせ、予め別の女が西洋名画の筆者と画題とを書いたも・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・ また、一昨年一二月八日に金星の日食ありて、諸外国の天文家は日本に来て測量したり。この時において、学者は何の観をなしたるか。金の魚虎は墺国の博覧会に舁つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞ならずや。 また・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・黙語氏が一昨年出立の前に秋草の水画の額を一面餞別に持て来てこまごまと別れを叙した時には、自分は再度黙語氏に逢う事が出来るとは夢にも思わなかったのである。○去年の夏以来病勢が頓と進んで来て、家内の者は一刻も自分の側を離れる事が出来ぬように・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・面白かったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合に気象台を通るようになるん・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」「・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・組合の中でもそういうことはある。一昨年でしたかやっぱり『学生評論』で各学校からの男女学生が集って座談会をしたことがありました。丁度学生祭のあとで、話題は豊富でしたが、女子学生の問題の中には家庭と職業との矛盾をどうするかという問題があり、した・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・第二部は一昨年から最近までのものがあつめられている。 この本にとり集められていない沢山の問題が、今日の女性生活の中にある。七八年前は、「異性の間の友情」とか、「恋愛論」としてしか一般の常識の上にとりあげられなかった両性の社会関係について・・・ 宮本百合子 「あとがき(『幸福について』)」
・・・ 先年妙解院殿御卒去の砌には、十九人の者ども殉死いたし、また一昨年松向寺殿御卒去の砌にも、簑田平七正元、小野伝兵衛友次、久野与右衛門宗直、宝泉院勝延行者の四人直ちに殉死いたし候。簑田は曾祖父和泉と申す者相良遠江守殿の家老にて、主とともに・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・それが一昨年太郎兵衛の入牢してからは、とかく孫たちに失望を起こさせるようになった。おばあ様が暮らし向きの用に立つ物をおもに持って来るので、おもちゃやお菓子は少なくなったからである。 しかしこれから生い立ってゆく子供の元気は盛んなもので、・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫