・・・彼の名はヤコフ・イリイッチと云って、身体の出来が人竝外れて大きい、容貌は謂わばカザン寺院の縁日で売る火難盗賊除けのペテロの画像見た様で、太い眉の下に上睫の一直線になった大きな眼が二つ。それに挾まれて、不規則な小亜細亜特有な鋭からぬ鼻。大きな・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ 三声を続けて鳴いたと思うと……雪をかついだ、太く逞しい、しかし痩せた、一頭の和犬、むく犬の、耳の青竹をそいだように立ったのが、吹雪の滝を、上の峰から、一直線に飛下りたごとく思われます。たちまち私の傍を近々と横ぎって、左右に雪の白泡を、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 今は最う、さっきから荷車が唯辷ってあるいて、少しも轣轆の音の聞えなかったことも念頭に置かないで、早くこの懊悩を洗い流そうと、一直線に、夜明に間もないと考えたから、人憚らず足早に進んだ。荒物屋の軒下の薄暗い処に、斑犬が一頭、うしろ向に、・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・妄想未練を棄てて一直線に私のところへ来い。その醜態は何事だ!」父は暗い空の上からこう言った気がして、私はフラフラと昏倒するような気持になった。そこの梅の老木の枝ぶりも、私には誘惑だった。私はコソコソと往きとは反対の盗み足で石段を帰ってきたが・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・来た時と方面を変えて、奥羽線で一直線に帰ろうじゃないか。葬式を出した後というものはずいぶんさびしいものなんだろうが、こうしたところに引かかっていると、さっぱりヘンな気持のものだね。遠くまで吾々で送ってきたというよりも、遠くへまで片づけにやっ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。光線の具合で流れの趣が絶えず変・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・こはかれが家の庭を流れてかの街を貫くものとは異なり、遠き大川より引きし水道の類ゆえ、幅は三尺に足らねど深ければ水層多く、林を貫く辺りは一直線に走りて薄暗きかなたより現われまた薄暗き林の木陰に隠れ去るなり。村の者が野菜洗うためにとてこの流れの・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・何故というに、一直線上で同量の二力が衝突する時はともに無となって仕舞うが、曲線上で衝突する時は中々無になる場合は少い、又直線的で反対の力が互に衝突する時は反射して走しる力の有様が曲線的に反対の力が来て互に撞着時よりおもしろくない。直線は一種・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・彼はまるで、一つの端から他の端へ一直線に線を引くように、自家へ帰ることがばかばかしくなった。彼は歩きだしながら、どうするかと迷った。停車場へ来るとプラットフォームにはもう人が出ていた。 龍介はポケットに手をつっこんだままちょっと立ち止ま・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・とあたかも一つの決心がついたかのごとく呟くが、しかし、何一つとしてうまい考えは無く、谷間の老人は馬に乗って威厳のある演説をしようとするが、馬は老人の意志を無視してどこまでも一直線に歩き、彼は演説をしながら心ならずも旅人の如く往還に出て、さら・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫