・・・雲は太く且つ広く空を掩うて一直線に進んで来る。閃光を放ちながら雷鳴が殷々として遠く聞こえはじめた。東南の空際にも柱の如き雲が相応じて立った。文造は此の気象の激変に伴う現象を怖れた。彼は番小屋へ駆け込んで太十を喚んだ。太十は死んだようになって・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・これも疎忽ものが読むと、花袋君と小生の嗜好が一直線の上において六年の相違があるように受取られるから、御断りを致しておきたい。 花袋君がカッツェンステッヒに心酔せられた時分、同書を独歩君に見せたら、拵らえものじゃないかと云って通読しなかっ・・・ 夏目漱石 「田山花袋君に答う」
・・・いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にしたほどな声を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方向に、同速力に向ける事はできません。広い世界を、広い世界に住む人間が、随意の歩調で、勝手な方角へあるいているとすれば、御互に行き・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・この時庄太郎はふと気がついて、向うを見ると、遥の青草原の尽きる辺から幾万匹か数え切れぬ豚が、群をなして一直線に、この絶壁の上に立っている庄太郎を目懸けて鼻を鳴らしてくる。庄太郎は心から恐縮した。けれども仕方がないから、近寄ってくる豚の鼻頭を・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 明治廿六年の夏から秋へかけて奥羽行脚を試みた時に、酒田から北に向って海岸を一直線に八郎湖まで来た。それから引きかえして、秋田から横手へと志した。その途中で大曲で一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たという事・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・棒球に触れて球は直角内に落ちたる時(これを正球打者は棒を捨てて第一基に向い一直線に走る。この時打者は走者となる。打者が走者となれば他の打者は直ちに本基の側に立つ。しかれども打者の打撃球に触れざる時は打者は依然として立ち、攫者は後にありてその・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・ 明治十四年に十九歳であった岸田俊子が、三年の女官生活から一直線に自由党の政治運動に入って行った過程は、いかにもその時代の若々しく燃え立って、形の固定していなかった日本の社会情勢を語っていて、俊子の性格の烈しさの面白さばかりに止まらない・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・美男の良人につかまって数番の初等トウダンスと両脚を床の上で一直線に展くことをおそわった時 ターニャ・イワノヴナは自分の姙娠したことを知った。踊りての良人は不機嫌に「僕あ赤坊なんぞいらないよ」と云った。ターニャ・イワノヴナは 人工流産・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・日本のように、明治以来、よろめきつつ漸々前進しつつある近代の精神を、精神の自立的成長よりテムポ迅い営利的企業がひきさらって、文学的精励、文壇、出版、たつき、と一直線に、文学商売へ引きずりおとしてしまう現象は、中国文学にまだ現れていないのでは・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・見ると、家の持地の入口の道から門まで一直線の路をつけて、踏み先へ先へと、雪かきを押して来たものと見え、今自分が立って居る処までほか地面は現われて居ない。父がまだ若い時から居た爺なので、私の事をまるで、孫でも見る様な気で居る。顔中、「たて」の・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫