・・・これからまたここへ一遍帰って十一時には向うの宿へつかなければいけないんだ。「何処さ行ぐのす。」そうだ、釜淵まで行くというのを知らないものもあるんだな。〔釜淵まで、一寸三十分ばかり。〕おとなしい新らしい白、緑の中だから、そして外光の中・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・その時先生が、鞭や白墨や地図を持って入って来られたもんですから、みんなは俄かにしずかになって立ち、源吉ももう一遍こっちをふりむいてから、席のそばに立ちました。慶次郎も顔をまっ赤にしてくつくつ笑いながら立ちました。そして礼がすんで授業がはじま・・・ 宮沢賢治 「鳥をとるやなぎ」
・・・もちろんこの器械は鎖か何かで太い木にしばり付けてありますから、実際一遍足をとられたらもうそれきりです。けれども誰だってこんなピカピカした変なものにわざと足を入れては見ないのです。」 狐の生徒たちはどっと笑いました。狐の校長さんも笑いまし・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・するともう身体の痛みもつかれも一遍にとれてすがすがしてしまいました。「さあ、参りましょう。」と稲妻が申しました。そして二人が又そのマントに取りつきますと紫色の光が一遍ぱっとひらめいて童子たちはもう自分のお宮の前に居ました。稲妻はもう見え・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・恋愛がそれに価いしないと云うのではなく、正反対に、本当の恋愛は人間一生の間に一遍めぐり会えるか会えないかのものであり、その外観では移ろい易く見える経過に深い自然の意志のようなものが感じられ、又よき恋愛をすることは容易な業ではないと感じている・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・ 一部の人たちは、自分たちが、もう一遍うまいことのやり直しとして希望する世界の悲劇は、そう簡単にひき起されるものではなく、人間はそれほど愚かではない、という事実を認めたくないようです。だから、戦争に関する非人道的な挑発は、日本の新聞にこ・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・ 友子さんは、政子さんがもう一遍喫驚して思わず目を大きくしたほど、いやな笑い方をしました。「あの方は、私、級中で一番嫌いだわ、此の間もね、お裁縫室の傍にね、ホラ南天の木があるでしょう、彼処で種々お話をしていた時、私が何心なく、芳子さ・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・月に一遍夫婦揃ってお客に行く。祭の日にはせいぜいキノか芝居へでも出かける。昔のドミトリーの生活のそれが最大限度であった。家庭がドミトリーの慰安所であった。 ところが、革命が起った。ドミトリーの生涯は新しく、闘争と餓えとの間から萌え出した・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・女たちは涙を流して、こうなり果てて死ぬるからは、世の中に誰一人菩提を弔うてくれるものもあるまい、どうぞ思い出したら、一遍の回向をしてもらいたいと頼んだ。子供たちは門外へ一足も出されぬので、ふだん優しくしてくれた柄本の女房を見て、右左から取り・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「そんなら僕も一遍遣って見よう。」「別当が泳げなくちゃあだめだ。」「泳げるような事を言っていた。」 中野は石田より早く卒業した士官である。今は石田と同じ歩兵少佐で、大隊長をしている。少し太り過ぎている男で、性質から言えば老実・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫