・・・ 川柳の陰になった一間幅ぐらいの小川の辺に三、四人の少年が集まっている、豊吉はニヤニヤ笑って急いでそこに往った。 大川の支流のこの小川のここは昔からの少年の釣り場である。豊吉は柳の陰に腰掛けて久しぶりにその影を昔の流れに映した。小川・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・十一月一日に六郎左衛門が家のうしろの家より、塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に、一間四面なる堂の仏もなし。上は板間合はず、四壁はあばらに、雪降り積りて消ゆる事なし。かゝる所に敷皮うちしき、蓑うちきて夜を明かし、日を暮・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・彼等は鮮人に接近すると、汚い伝染病にでも感染するかのように、一間ばかり離れて、珍しそうに、水飴のように大地にへばりつこうとする老人を眺めた。「伍長殿。」剣鞘で老人の尻を叩いている男に、さきの一人が思い切った調子で云った。それは栗島だった・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・急ぎて先ず社務所に至り宿仮らん由を乞えば、袴つけたる男我らを誘いて楼上に導き、幅一間余もある長々しき廊を勾に折れて、何番とかやいう畳十ひらも敷くべき一室に入らしめたり。 あたりのさまを見るに我らが居れる一ト棟は、むかし観音院といいし頃よ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
誰でもそうだが、田口もあすこから出てくると、まるで人が変ったのかと思う程、饒舌になっていた。八カ月もの間、壁と壁と壁と壁との間に――つまり小ッちゃい独房の一間に、たった一人ッ切りでいたのだから、自分で自分の声をきけるのは、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・その家の一間を借りて高瀬はさしあたり腰掛に荷物を解き、食事だけは先生の家族と一緒にすることにした。横手の木戸を押して、先生は自分の屋敷の裏庭の方へ高瀬を誘った。 先生の周囲は半ば農家のさまだった。裏庭には田舎風な物置小屋がある。下水の溜・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・それでも、ずいぶん元気で、田舎にもあまり帰りたがらず、入院もせず、戸山が原のちかくに一軒、家を借りて、同郷のWさん夫婦にその家の一間にはいってもらって、あとの部屋は全部、自分で使って、のんきに暮していました。私は、高等学校へはいってからは、・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・と言ったら、一間ばかりあとを雪駄を引きずりながら、大儀そうについて来た妻は、エヽと気のない返事をして無理に笑顔をこしらえる。この時始めて気がついたが、なるほど腹の帯の所が人並みよりだいぶ大きい。あるき方がよほど変だ。それでも当人は平気でくっ・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・何畳だか、一間きりの家の中はよくかたづいていて、あたらしいタンスや紅いきれのかかった鏡台やがあった。「印刷工組合の指導者、青井三吉も、女にかかると、あかんな、うーん」 長野がコップをつきつけた。女房に子供もあるがチャップリンひげと、・・・ 徳永直 「白い道」
・・・流行感冒に罹ってあくる年の正月一ぱい一番町の家の一間に寝ていた。その時雑誌『太陽』の第一号をよんだ。誌上に誰やらの作った明治小説史と、紅葉山人の短篇小説『取舵』などの掲載せられていた事を記憶している。 二月になって、もとのように神田の或・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
出典:青空文庫