・・・すると二人に忘れられた、あの小さな三毛猫は、急に何か見つけたように、一飛びに戸口へ飛んで行った。そうしてまるで誰かの足に、体を摺りつけるような身ぶりをした。が、部屋に拡がった暮色の中には、その三毛猫の二つの眼が、無気味な燐光を放つほかに、何・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・では早速これへ乗って、一飛びに空を渡るとしよう」 鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中に咒文を唱えながら、杜子春と一しょにその竹へ、馬にでも乗るように跨りました。すると不思議ではありませんか。竹杖は忽ち竜のように、勢よく大・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
一森の中。三人の盗人が宝を争っている。宝とは一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマントル、鉄でもまっ二つに切れる剣――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・すると下から下士が一人、一飛びに階段を三段ずつ蝗のように登って来た。それが彼の顔を見ると、突然厳格に挙手の礼をした。するが早いか一躍りに保吉の頭を躍り越えた。彼は誰もいない空間へちょいと会釈を返しながら、悠々と階段を降り続けた。 庭には・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ 衝と身を起こして追おうとすると、奴は駈出した五足ばかりを、一飛びに跳ね返って、ひょいと踞み、立った女房の前垂のあたりへ、円い頤、出額で仰いで、「おい、」という。 出足へ唐突に突屈まれて、女房の身は、前へしないそうになって蹌踉い・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・たちまち道を一飛びに、鼠は海へ飛んで、赤島に向いて、碧色の波に乗った。 ――馬だ――馬だ――馬だ―― 遠く叫んだ、声が響いて、小さな船は舳を煽り、漁夫は手を挙げた。 その泳いだ形容は、読者の想像に任せよう。 巳の時の夫人には・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・十数尺の高さを水平距離で四十尺も一飛びにとぶのである。何か簡単な器械を人間のからだへつけて、この動物のようにとんで歩くスポーツを発明したらおもしろいかもしれないという気がした。 こういう実写を見ているとつくづく人間のこしらえた映画のばか・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・出すかと思うと一飛びに土堤を飛越えてまた芒の上をチラリ/\して行く。なお面白いのは日が高くなるにつれて椎茸が次第に縮んで、おしまいにはもう椎茸とも何とも分らぬものになって石ころ道の上を飛び飛び転がって行く。少し厭き気味になると父上に謡をうた・・・ 寺田寅彦 「車」
・・・自分は浅間しいこの都会の中心から一飛びに深川へ行こう――深川へ逃げて行こうという押えられぬ欲望に迫められた。 数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、恍惚、悲しみ、悦びの感激を満足させてくれた処であった・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・九州からまるで一飛びに馳けて馳けてまっすぐに東京へ来たろう。そしたら丁度僕は保久大将の家を通りかかったんだ。僕はね、あの人を前にも知っているんだよ。だから面白くて家の中をのぞきこんだんだ。障子が二枚はずれてね『すっかり嵐になった』とつぶやき・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
出典:青空文庫