・・・皆が、成瀬君万歳と言う。君は扇を動かして、それに答えた。が、僕は中学時代から一度も、大きな声で万歳と言ったことがない。そこで、その時も、ただ、かぶっていた麦わら帽子をぬいで、それを高くさし上げて、パセティックな心もちに順応させた。万歳の声は・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・「万歳! 日本万歳! 悪魔降伏。怨敵退散。第×聯隊万歳! 万歳! 万々歳!」 彼は片手に銃を振り振り、彼の目の前に闇を破った、手擲弾の爆発にも頓着せず、続けざまにこう絶叫していた。その光に透かして見れば、これは頭部銃創のために、突撃・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・みんな万歳を唱えろ」などと言った。僕は僕の父の葬式がどんなものだったか覚えていない。唯僕の父の死骸を病院から実家へ運ぶ時、大きい春の月が一つ、僕の父の柩車の上を照らしていたことを覚えている。四 僕は今年の三月の半ばにまだ懐炉・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・燕はちょこなんと王子の肩にすわって、今馬車が来たとか今小児が万歳をやっているとか、美しい着物の坊様が見えたとか、背の高い武士が歩いて来るとか、詩人がお祝いの詩を声ほがらかに読み上げているとか、むすめの群れがおどりながら現われたとか、およそ町・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・拍手は夥しく、観音丸万歳! 船長万歳! 乗合万歳! 八人の船子を備えたる艀は直ちに漕寄せたり。乗客は前後を争いて飛移れり。学生とその友とはやや有りて出入口に顕れたり。その友は二人分の手荷物を抱えて、学生は例の厄介者を世話して、艀に移りぬ・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・ 殺した声と、呻く声で、どたばた、どしんと音がすると、万歳と、向二階で喝采、ともろ声に喚いたのとほとんど一所に、赤い電燈が、蒟蒻のようにぶるぶると震えて点いた。 七 小春の身を、背に庇って立った教授が、見ると・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・と、友人は少し笑いを含みながら、「その手つづきは後でしてやると親類の人達がなだめて、万歳の見送りをしたんやそうや。もう、その時から、少し気が触れとったらしい。」「気違いになったのだ、な?」「気違い云うたら、戦争しとる時は皆気違いや。・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ラッパの勇しい響きと同時に、到るところで、××君万歳の声が渦をまいて、雨空に割込むように高く挙った。その声は暫く止まなかった。整列、点呼が終った。またしてもラッパだ。出発である。兵隊達は靴音を立て始めた。Sも歩き出した。ふと、Sの視線が私の・・・ 織田作之助 「面会」
・・・自分は士官室で艦長始め他の士官諸氏と陛下万歳の祝杯を挙げた後、準士官室に回り、ここではわが艦長がまだ船に乗らない以前から海軍軍役に服していますという自慢話を聞かされて、それからホールへまわった。 戦時は艦内の生活万事が平常よりか寛かにし・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・ 間もなく貞二が運ぶ酒肴整いければ、われまず二郎がために杯を挙げてその健康を祝し、二郎次にわがために杯を挙げかくて二人ひとしく高く杯を月光にかざしてわが倶楽部の万歳を祝しぬ。 二郎はげに泣かざるなり、貴嬢が上を語りいで、こし方の事に・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
出典:青空文庫