・・・ 渠は手も足も肉落ちて、赭黒き皮のみぞ骸骨を裹みたるたる空に覆れたる万象はことごとく愁いを含みて、海辺の砂山に著るき一点の紅は、早くも掲げられたる暴風警戒の球標なり。さればや一艘の伝馬も来らざりければ、五分間も泊らで、船は急進直江津に向・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・あらゆる直接経験から来る常識の幻影に惑わされずに純理の道筋を踏んだのは、数学という器械の御蔭であるとしても、全く抽象的な数学の枠に万象の実世界を寸分の隙間もなく切りはめた鮮やかな手際は物理学者としてその非凡なえらさによるものと考えなければな・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・かようにして天地間の万象は複雑きわまる網目によって無限多義的に連関している。甲から乙に移る連絡道路だけでも無限に多数に存する。それらの通路の中には国道もあり間道もあり、また人々によって通い慣れた道と、そうでないのとがある。それで今甲の影像の・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 原理の白色光に照らされた時に万象は各自に特有な色彩を現わして柳は緑に花は紅に見える。しかし緑色の宣伝する人は太陽の前に緑色ガラスのスクリーンをかけて、世の中を緑色にしてしまおうと考えているかのように見える場合がある。もしも花が緑になら・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・しかし再び興奮の発作が来ると彼の頭は霊妙な光で満ち渡ると同時に、眼界をおおっていた灰色の霧が一度に晴れ渡って、万象が透き通って見えるのである。 このように週期的に交代する二つの世界のいずれがほんとうであるかを決定したいと思って迷っていた・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・これは既に自然界の万象の中からあるものが選び出され抽象されて、一つのいわゆる「類概念」が構成された事を意味する。同様に石を切る、木を切るというような雑多な動作の中から共通なものが抽象されて、そこに「切る」という動詞が出来、また同様にして「堅・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
・・・よしやそれほど簡単な場合でなくとも、有限な個体の間に有限な関係があるだけの宇宙ならば、万象はいつかは昔時の状態そのままに復帰して、少なくも吾人のいわゆる物理的世界が若返る事は可能である。このような世界の「時」では、未来の果ては過去につながっ・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・天地万象がそれまでとはまるでちがった姿と意味をもって眼前に広がるような気がした。 蒸し暑い夕風の縁側で父を相手に宣教師のようなあつかましさをもって「新俳句」の勝手なページをあけては朗読の押し売りをしたが、父のほうではいっこう感心してくれ・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ 風雅は自我を去ることによって得らるる心の自由であり、万象の正しい認識であるということから、和歌で理想とした典雅幽玄、俳諧の魂とされたさびしおりというものがおのずから生まれて来るのである。幽玄でなく、さびしおりのないということは、露骨で・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・そしてわれわれがわずかばかりな文明に自負し、万象を征服したような心持になって、天然ばかりか同胞とその魂の上にも自分勝手な箸を持って行くような事をあえてする、それが一段高いところで見ている神様の目にはずいぶん愚かな事に見えはしまいか。ついこん・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
出典:青空文庫