・・・ 学士が驚いた――客は京の某大学の仏語の教授で、榊三吉と云う学者なのだが、無心の小児に向っては、盗賊もあやすと言う……教授でも学者でも同じ事で、これには莞爾々々として、はい、今日は、と言った。この調子で、薄暗い広間へ、思いのほかのものが・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・「お上さん、三公はどッかへ出ましたか?」と店から声をかけられて、お光は始めて気がつくと、若衆の為さんが用足しから帰ったので、中仕切の千本格子の間からこちらを覗いている。「三吉は今二階だが、何か用かね?」「なに、そんならいいんです・・・ 小栗風葉 「深川女房」
坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。 坂田は無学文盲・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・その家の人びとは宵の寝苦しい暑さをそのままぐったりと夢に結んでいるのだろうか、けれども暦を数えれば、坂田三吉のことを書いた私の小説がある文芸雑誌の八月号に載ってからちょうど一月が経とうとして、秋のけはいは早やこんなに濃く夜更けの色に染まって・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・また、坂田三吉を書いたのではありません。 この「私」の出し方と「文芸」九月号の出し方は、すこし違います。作中に「オダ」という人名が出て来ますが、これは読者が佐伯は作者であるなど思われると困りますので、「オダ」が出て来るのです。「聴雨・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・ 自然生の三吉が文句じゃないが、今となりては、外に望は何もない、光栄ある歴史もなければ国家の干城たる軍人も居ないこの島。この島に生れてこの島に死し、死してはあの、そら今風が鳴っている山陰の静かな墓場に眠る人々の仲間入りして、この島の土と・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ そこへ小さな甥の三吉が飛んでやって来た。前の日にこの医院へ来たばかりで種々な眼についたものを一々おげんのところへ知らせに来るのも、この子供だ。蜂谷の庭に続いた桑畠を一丁も行けば木曽川で、そこには小山の家の近くで泳いだよりはずっと静かな・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・―― いつものように三吉は、熊本城の石垣に沿うてながい坂道をおりてきて、鉄の通用門がみえだすあたりから足どりがかわった。門はまだ閉まっているし、時計台の針は終業の五時に少し間がある。ド・ド・ド……。まだ作業中のどの建物からもあらい呼吸づ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・そりゃ、聞えません伝兵エサンと来るじゃないか。三吉一つ歌って見や。アイアイ。そんな事じゃなかったよ。坂、坂は照る照る鈴、鈴鹿は曇る、あいのあいの土山雨がふる、ヨーヨーと来るだろう。向うの山へ千松がと来るだろう。そんなのはないよ。五十四郡の思・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ そう思って一郎には雨がうれしいのであるが、一郎の家の崖下の三吉のところでは、全然ちがった光景が展開されている。三吉は、上り口のかまちに腰をかけて、ゴム長の片っ方を手にとり、しきりに困っている。兄ちゃんのお下りであるそのゴム長は三吉の足に合・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
出典:青空文庫