・・・と言うのはほかでもない。三月の末のある午頃、彼は突然彼の脚の躍ったり跳ねたりするのを発見したのである。なぜ彼の馬の脚はこの時急に騒ぎ出したか? その疑問に答えるためには半三郎の日記を調べなければならぬ。が、不幸にも彼の日記はちょうど最後の打・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・千二百十二年の三月十八日、救世主のエルサレム入城を記念する棕櫚の安息日の朝の事。 数多い見知り越しの男たちの中で如何いう訳か三人だけがつぎつぎにクララの夢に現れた。その一人はやはりアッシジの貴族で、クララの家からは西北に当る、ヴィヤ・サ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・うる男とはどうしても信じかねながら、もし万一死ぬことができたなら……というようなことを考えて、あの森川町の下宿屋の一室で、友人の剃刀を持ってきて夜半ひそかに幾度となく胸にあててみた……ような日が二月も三月も続いた。 そうしてるうちに、一・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・大正十四年三月 泉鏡花 「怨霊借用」
一 隣の家から嫁の荷物が運び返されて三日目だ。省作は養子にいった家を出てのっそり戻ってきた。婚礼をしてまだ三月と十日ばかりにしかならない。省作も何となし気が咎めてか、浮かない顔をして、わが家の門をくぐった・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・一月の十二三日に収容せられ、生死不明者等はそこで初めて戦死と認定せられ、遺骨が皆本国の聨隊に着したんは、三月十五日頃であったんや。死後八カ月を過ぎて葬式が行われたんや。」「して、大石のからだはあったんか?」「あったとも、君――後で収・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・北国の三月は、まだ雪や、あられが降って、雲行きが険しかったのであります。あわれな娘の兄は、こうした寒い日にも、生活のために、沖へ出て漁をしていました。ちらちらと、横なぐりに、雪は、波の上に落ちると、たちまち消えてしまいました。ふとそのとき、・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・第一気楽じゃないか、亭主は一年の半分上から留守で、高々三月か四月しか陸にいないんだから、後は寝て暮らそうとどうしょうと気儘なもので……それに、貰う方でなるべく年寄りのある方がいいという注文なんだから、こんないい口がほかにあるものかね。お仙ち・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・などという言い方は、たぶん講義録で少しは横文字をかじった影響でしょうが、その講義録にしたところで、最初の三月分だけ無我夢中で読んだだけ、あとはもう金も払いこまず、したがって送ってもこなかった。が、私はえらくなろうという野心――野心といったの・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・――もう三月一日だった。二三日前に雪が降って、まだ雪解けの泥路を、女中と話しながら、高下駄でせかせかと歩いて行く彼女の足音を、自分は二階の六畳の部屋の万年床の中で、いくらか心許ない気持で聞いていた。自分の部屋の西向きの窓は永い間締切りにして・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫