この話の主人公は忍野半三郎と言う男である。生憎大した男ではない。北京の三菱に勤めている三十前後の会社員である。半三郎は商科大学を卒業した後、二月目に北京へ来ることになった。同僚や上役の評判は格別善いと言うほどではない。しか・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ついには同属の狸までも化け始めて、徳川時代になると、佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生が出て、海の向うにいる越前の国の人をさえ、化かすような事になった。 化かすようになったのではない。化かすと信ぜられるようになったのである――・・・ 芥川竜之介 「貉」
・・・「赤沼の若いもの、三郎でっしゅ。」「河童衆、ようござった。さて、あれで見れば、石段を上らしゃるが、いこう大儀そうにあった、若いにの。……和郎たち、空を飛ぶ心得があろうものを。」「神職様、おおせでっしゅ。――自動車に轢かれたほど、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・総領は児供の時から胆略があって、草深い田舎で田の草を取って老朽ちる器でなかったから、これも早くから一癖あった季の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院前の伊勢長といえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。この・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・十年前だった、塚原靖島田三郎合訳と署した代数学だか幾何学だかを偶然或る古本屋で見附けた。余り畑違いの著述であるのを不思議に思って、それから間もなく塚原老人に会った時に訊くと、「大変なものを見附けられた。アレはネ……」と渋柿園老人は例の磊落な・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
ねえやの田舎は、山奥のさびしい村です。町がなかなか遠いので、子供たちは本屋へいって雑誌を見るということも、めったにありません。三郎さんは、自分の見た雑誌をねえやの弟さんに、送ってやりました。「坊ちゃん、ありがとうございます。弟は、・・・ 小川未明 「おかめどんぐり」
一 三郎はどこからか、一ぴきのかわいらしい小犬をもらってきました。そして、その小犬をかわいがっていました。彼はそれにボンという名をつけて、ボン、ボンと呼びました。 ボンは人馴れたやさしい犬で、主人の三郎にはもとよりよくなつき・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
夏の昼過ぎでありました。三郎は友だちといっしょに往来の上で遊んでいました。するとそこへ、どこからやってきたものか、一人のじいさんのあめ売りが、天秤棒の両端に二つの箱を下げてチャルメラを吹いて通りかかりました。いままで遊びに気をとられて・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
・・・ 小さい方の三郎は悲しい顔もせずに、簡単に諦らめていた。「なんぜあかんネん……?」「きかんでも判ってるやないか。銭があらへん」「不景気なことを云うな。なんぼ戦争に負けた云うたかテ、珈琲の味ぐらい覚えてもかめへんぞ。どや、おれ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給え。 僕の思っている海はそんな海じゃないんだ。そんな既に結核に冒されてしまったような風景でもなければ、思いあがった詩人めかした・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
出典:青空文庫