・・・ 或日自分は何時のように滑川の辺まで散歩して、さて砂山に登ると、思の外、北風が身に沁ので直ぐ麓に下て其処ら日あたりの可い所、身体を伸して楽に書の読めそうな所と四辺を見廻わしたが、思うようなところがないので、彼方此方と探し歩いた、すると一・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 五 立正安国論 日蓮は鎌倉に登ると、松葉ヶ谷に草庵を結んで、ここを根本道場として法幡をひるがえし、彼の法戦を始めた。彼の伝道には当初からたたかいの意識があった。昼は小町の街頭に立って、往来の大衆に向かって法華経を説・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・二階へ上るとようよう地下室から一階へ上った来たような気がした。しかし、そこが二階であることは、彼は、はっきり分っていた。帰るには、階段をおりて、暗い廊下を通らなければならなかった。そこを逃げ出して行く。両側の扉から憲兵が、素早く手を突き出し・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・山へ登るのも極くいいことであります。深山に入り、高山、嶮山なんぞへ登るということになると、一種の神秘的な興味も多いことです。その代りまた危険も生じます訳で、怖しい話が伝えられております。海もまた同じことです。今お話し致そうというのは海の話で・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・る、私慾の為めに謀殺される、窮迫の為めに自殺する、今の人間の命の火は、油の尽きて滅するのでなくて、皆な烈風に吹消さるるのである、私は今手許に統計を有たないけれど、病死以外の不慮の横死のみでも年々幾万に上るか知れないのである。 鰯が鯨の餌・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 検事が鞄をかゝえこんで、立ち上るとき云った。俺は聞いていなかった。 豆の話 俺はとう/\起訴されてしまった。Y署の二十九日が終ると、裁判所へ呼び出されて、予審判事から検事の起訴理由を読みきかせられた。それから簡・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・角の歌川へ軾を着けさせ俊雄が受けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生の松ソレと突きやったる出雲殿の代理心得、間、髪を容れざる働きに俊雄君閣下初めて天に昇るを得て小春がその歳暮裾曳く弘め、用度・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・登れば登るほど青く澄んだ山の空気が私たちの身に感じられて来た。旧い街道の跡が一筋目につくところまで進んで行くと、そこはもう私の郷里の入り口だ。途中で私は森さんという人の出迎えに来てくれるのにあった。森さんは太郎より七八歳ほども年長な友だちで・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ ウイリイは船から上ると、百だいの車へ、百樽の肉とパンとをつませて、二百本の革綱をつけてそれを二百人の水夫に、二人ずつで引かせて進んでいきました。 すると、向うの方で、大ぜいの狼と大ぜいの熊とが食べものに飢えて大げんかをしていました・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・祭壇から火の立ち登る柱廊下の上にそびえた黄金の円屋根に夕ぐれの光が反映って、島の空高く薔薇色と藍緑色とのにじがかかっていました。「あれはなんですか、ママ」 おかあさんはなんと答えていいか知りませんでした。「あれが鳩の歌った天国で・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫