・・・そして、それで想いだしたがといった風で上機嫌になって、「じつはね、この信玄袋では停車場へ送ってきた友だちと笑ったことさ。何しろ『富貴長命』と言うんだからね。人間の最上の理想物だと言うんだ。――君もこの信玄袋を背負って帰るんだから、まあ幸・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・』叔父さん独語を言って上機嫌である。『徳さん、腹が減ったか。』『減った。』『弁当をやらかそうか。』 そこで叔父さんは弁当を出して二人、草の上に足を投げだして食いはじめた。僕はこの時ほどうまく弁当を食ったことは今までにない。叔・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・をしていたのは、その事に深く心を入れていたためで、別にほかに何があったのでもない、と自然に分明したから、細君は憂を転じて喜と為し得た訳だったが、それも中村さんが、チョクに遊びに来られたお蔭で分ったと、上機嫌になったのであった。 女は上機・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・学士の肩へ手を掛けて、助けて行こうという心づかいを見せたが、その人も大分上機嫌で居た。 よろよろした足許で、復た二人は舞うように出て行った。高瀬は屋外まで洋燈を持出して、暗い道を照らして見せたが、やがて家の中へ入って見ると、余計にシーン・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ そのおでんやを出て、また、別のところへ行き、私たちは、その夜おそくまで、奉祝の上機嫌な市民の中を、もまれて歩いた。提燈行列の火の波が、幾組も幾組も、私たちの目の前を、ゆらゆら通過した。兄は、ついに、群集と共にバンザイを叫んだ。あんなに・・・ 太宰治 「一燈」
・・・ 津島はれいの、「苦労を忘れさせるような」にこにこ顔で答え、机の上を綺麗に片づけ、空のお弁当箱を持って立ち上る。「お願いします」「時計をごらん、時計を」 津島は上機嫌で言って、その出産とどけを窓口の外に押し返す。「おねが・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ 王子は、あまりに上機嫌だったので、ラプンツェルの苦痛に同情する事を忘れていました。人は、自分で幸福な時には、他人の苦しみに気が附かないものなのでしょう。ラプンツェルの蒼い顔を見ても、少しも心配せず、「たべすぎたのさ。庭を歩いたら、・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ と三吉の肩をたたいてから、上機嫌ででてゆくのをみおくりながら、やはりたちそびれていた。「ときに、あの娘いくつだい?」 と、深水がきくのに、嫁さんははずんだ調子でこたえている。「シゲちゃんは、妾より一つ上よ」「二十一か」・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ あるすきとおるように黄金いろの秋の日土神は大へん上機嫌でした。今年の夏からのいろいろなつらい思いが何だかぼうっとみんな立派なもやのようなものに変って頭の上に環になってかかったように思いました。そしてもうあの不思議に意地の悪い性質もどこ・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・第一の精霊 サテサテマア、何と云うあったかな事だ、飛切りにアポロー殿が上機嫌だと見えるワ。日影がホラ、チラチラと笑って御ざる。第二の精霊 アポロー殿が上機嫌になりゃ私共までいや、世の中のすべてのものが上機嫌じゃがその中にたっ・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
出典:青空文庫