・・・又あるときは頭よりただ一枚と思わるる真白の上衣被りて、眼口も手足も確と分ちかねたるが、けたたましげに鉦打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。これは癩をやむ人の前世の業を自ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシャロットの女は知るすべもあらぬ。 旅商人の・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・私は、そこで自暴自棄な力が湧いて来た。私を連れて来た男をやっつける義務を感じて来た。それが義務であるより以上に必要止むべからざることになって来た。私は上着のポケットの中で、ソーッとシーナイフを握って、傍に突っ立ってるならず者の様子を窺った。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 雪を振り落してから、一本腕はぼろぼろになった上着と、だぶだぶして体に合わない胴着との控鈕をはずした。その下には襦袢の代りに、よごれたトリコオのジャケツを着込んでいる。控鈕をはずしてから、一本腕は今一本の腕を露した。この男は自分の目的を・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・長き黒き天鵞絨の上着を着し、顔の周囲に白きレエスを付けたる黒き天鵞絨の帽子を冠りおる。白き細き指にレエスの付きたる白き絹の紛※を持ちおる。母は静に扉を開きて出で、静に一間の中母。この部屋の空気を呼吸すれば、まあ、どれだけの甘い苦痛を・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 歩哨はスナイドル式の銃剣を、向こうの胸に斜めにつきつけたまま、その眼の光りようや顎のかたち、それから上着の袖の模様や靴のぐあい、いちいち詳しく調べます。「よし、通れ」 伝令はいそがしく羊歯の森のなかへはいって行きました。 ・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・さっきアイロンをかけるためにドミトリーの上着をふるったら、一枚紙きれが落ちた。何心なくひろって見たら、どうだろう、それはインガからドミトリーへあてた呼び出しであった。 ああ、この頃のドミトリーの変りようはどうだろう。元は、何でも話し一緒・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これらの仲間の中には繩の一端へ牝牛または犢をつけて牽いてゆくものもある。牛のすぐ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・鼠色の長い着物式の上衣の胸から、刺繍をした白いバチストが見えている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはウォランのついた、おもちゃのような蝙蝠傘を持っている。渡辺は無意識に微笑をよそおってソファから起きあがって、葉巻を灰皿に投げた。女は、附いて・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・そこここわがままに生えていた木もすでに緑の上衣を剥がれて、寒いか、風に慄えていると、旅帰りの椋鳥は慰め顔にも澄ましきッて囀ッている。ところへ大層急ぎ足で西の方から歩行て来るのはわずか二人の武者で、いずれも旅行の体だ。 一人は五十前後だろ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・と云って、元気よく上着を捲くし上げた。 外へ出て真ッ暗な六本木の方へ、歩いていくときだった。また栖方は梶に擦りよって来ると、突然声をひそめ、今まで抑えていたことを急に吐き出すように、「巡洋艦四隻と、駆逐艦四隻を沈めましたよ。光線をあ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫