・・・何かまた御用がありましたら、言付けてやって下さい」 こう言って、看護婦なぞの往ったり来たりする庭の向うの方から一人の男を連れて来た。新たに医学校を卒業したばかりかと思われるような若者であった。蜂谷はその初々しく含羞んだような若者をおげん・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ウイリイは、すぐに、王さまのうまやの頭のところへいって、「どうか私を使って下さいませんか。」とたのみました。「ただ私の馬のかいばさえいただきませば、給料なぞは下さらなくともたくさんです。」と言いました。そして馬丁にやとってもらいまし・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・此をお読みになる時は、熱い印度の、色の黒い瘠せぎすな人達が、男は白いものを着、女は桃色や水色の薄ものを着て、茂った樹かげの村に暮している様子を想像して下さい。 女の子が、スバシニと云う名を与えられた時、誰が、彼女の唖なことを思い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「僕にやらせて下さい。僕に、」ろくろく考えもせず、すぐに大声あげて名乗り出たのは末弟である。がぶがぶ大コップの果汁を飲んで、やおら御意見開陳。「僕は、僕は、こう思いますねえ。」いやに、老成ぶった口調だったので、みんな苦笑した。次兄も、れ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・と云って、「あなたにお目に掛かった記念にしますから、二十マルクを一つ下さいな」と云ったっけ。 ホテルに帰ったのは、午前六時であった。自動車のテクサメエトルを見たら五の所に針が行っていた。それをどう云うものだか、ショッフヨオルの先生が十二・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・そして、「このつれならまだいくらでもありますから、どうぞいいのを御持ち下さい」という。 一体私がこの壷を買う事に決定してから取り落してこわしたのだから、別に私の方であやまる必要もなければ、主人も黙って破片を渡せばいいのではなかったかと、・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・ 上さんが気を利かして、金を少し許り紙に包んで、「お爺さん少しだけれど、一杯飲んで下さいよ」と、そこへ差出すと、爺さんは一度辞退してから、戴いて腹掛へ仕舞いこんだ。「お爺さんはいつも元気すね。」「なに、もう駄目でさ。今日もこの歯・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「皆さん、着物を着て下さい。御飯も出来ましたよ」 女工の一人が大声で云っている。女達がてんでに、お櫃を抱えて運ぶ。焼かれた秋刀魚が、お皿の上で反り返っている。「これはどうしたことだ?」 利平は、半ば泣き出したい気持になった。・・・ 徳永直 「眼」
・・・「止りましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した怪我ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、後の綱のはずれかかるのを一生懸命に引直す。車は八重に重る線路の上をガタガタと行悩んで、・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・やってる方だって長いのは疲れますからできるだけ労力節約の法則に従って早く切り上げるつもりですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。 それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決し・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫