・・・ しかし僕の小説は「恋愛は至上なり」と云うのですよ。 主筆 すると恋愛の讃美ですね。それはいよいよ結構です。厨川博士の「近代恋愛論」以来、一般に青年男女の心は恋愛至上主義に傾いていますから。……勿論近代的恋愛でしょうね? 保吉 さあ・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
八っちゃんが黒い石も白い石もみんなひとりで両手でとって、股の下に入れてしまおうとするから、僕は怒ってやったんだ。「八っちゃんそれは僕んだよ」 といっても、八っちゃんは眼ばかりくりくりさせて、僕の石までひったくりつづ・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
B おい、おれは今度また引越しをしたぜ。A そうか。君は来るたんび引越しの披露をして行くね。B それは僕には引越し位の外に何もわざわざ披露するような事件が無いからだ。A 葉書でも済むよ。B しかし今度のは葉書では済まん。・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・「旨く行ったのね。」「旨く行きましたね。」「後で私を殺しても可いから、もうちと辛抱なさいよ。」「お稲さん。」「ええ。」となつかしい低声である。「僕は大空腹。」「どこかで食べて来た筈じゃないの。」「どうして貴方・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
一 君は僕を誤解している。たしかに君は僕の大部分を解していてくれない。こんどのお手紙も、その友情は身にしみてありがたく拝読した。君が僕に対する切実な友情を露ほども疑わないにもかかわらず、君が僕を解して・・・ 伊藤左千夫 「去年」
十年振りの会飲に、友人と僕とは気持ちよく酔った。戦争の時も出征して負傷したとは聴いていたが、会う機会を得なかったので、ようよう僕の方から、今度旅行の途次に、訪ねて行ったのだ。話がはずんで出征当時のことになった。「今の僕なら、君」と・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・私は気の毒になって徐に起ち掛けようとすると、「マダ早いよ、僕の処は夜るが昼だからね。眠くなったらソコの押入から夜具を引摺出してゴロ寝をするさ。賀古なぞは十二時が打たんけりゃ来ないよ、」といった。 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そして、休み時間になったときに、彼は、いつも、はっきりと先生に、問われたことを答える、小田に向かって、「やまがらに、僕は、お湯をやったんだよ。」と、吉雄はいいました。「お湯をやったのかい。」と、小田は、目を円くして問いました。「・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・しかし、僕かて石油がなんぜ肺にきくかちゅうことの科学的根拠ぐらいは知ってまっせ。と、いうのは外やおまへん。ろくろ首いうもんおまっしゃろ。あの、ろくろ首はでんな、なにもお化けでもなんでもあらへんのでっせ。だいたい、このろくろ首いうもんは、苦界・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「やっぱし僕達に引越せって訳さ。なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒ったって平気さ」 膳の前に坐っている子供等相手に、斯うした話をしながら、彼はやはり淋しい気持で盃を嘗め続けた。 無事に・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫