・・・これに加うるに種々なる不可解の語声。これらの色と音とはまだ西洋の文学芸術を知らなかったにもかかわらず、わたくしの官覚に強い刺戟を与えずにはいなかったのである。 或日わたくしは、銅羅を鳴しながら街上を練り行く道台の行列に出遇った。また或日・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・その哲学する精神を欠いた日本の詩人や文学者にとつて、ニイチェが不可解なのは当然と言はねばならぬ。日本の詩人や文学者は、動物のやうに感覚がよく発育して居る。どんな深遠な美の秘密でさへも、いやしくも感覚される限りに於て、すぐに本質を嗅ぎつけてし・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えてしまった。町には何の異常もなく、窓はがらんとして口を開けていた。往来には何事もなく、退屈の道路が白っちゃけてた。猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっかり情態が一変・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ が、乳色の、磨硝子の靄を通して灯を見るように、監獄の厚い壁を通して、雑音から街の地理を感得するように、彼の頭の中に、少年が不可解な光を投げた。 靄の先の光は、月であるか、電燈であるか、又は窓であるか、は解らなかったが光である事は疑・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・卑怯な成人たちに畢竟不可解なだけである。四 これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光の中からつややかな果実や、青い蔬菜といっしょにこれらの心象スケッチを世間に提供するものである。注文の多い料理店はその十二巻のセリー・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・彼の死には、種々不可解の点があり、それを理論的に批評するに困難がある。然し、彼が、性格的にあれ程殉情的なところと、理想主義、殆どストイックなところとのあったことに、今度のパニックは重大な関係を持つこと丈は争われない。 彼には、実に多くの・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・大切な、間違えてはいけない字だと、凝っと見れば見る程不可解な、まごつく、奇怪な二本の棒になって来る。而も、私がこんなものさえ上手に書けなくては、学校へなど到底行けないとおっしゃったではないか。ああ、あんなにいい袴や草履が出来たのに! 私・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・時はたって、秋風がふきそめるきのうきょう、この不可解な状態のかげにひそむ一つの理由として生活的な問題がおいおい一般の推測に浸透してきた。丸の内の宏壮な建物を見てもわかるように、保険会社は富んでいるものだが、現在、生命保険会社の支払い方法は、・・・ 宮本百合子 「権力の悲劇」
・・・遽しい将官たちの往き来とソビエットに挟まれた夕闇の底に横たわりながら、ここにも不可解な新時代はもう来ているのかしれぬと梶は思った。「それより、君の光線の色はどんな色です。」と梶は話を反らせて訊ねた。「僕の光線は昼間は見えないけども、・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ いずれが善、いずれが悪、人の世は不可解である。この人の世に生まれて「人」として第一義に活動せんとするものは、一度は人生問題の関門に到達せねばならぬ。二 眼を人生の百般に放つ。光明なる表面は暗黒なる罪悪を包む。闇の中には・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫