・・・彼はただ、春風の底に一脈の氷冷の気を感じて、何となく不愉快になっただけである。 しかし、内蔵助の笑わなかったのは、格別二人の注意を惹かなかったらしい。いや、人の好い藤左衛門の如きは、彼自身にとってこの話が興味あるように、内蔵助にとっても・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・かり六つも嵌めていたと云う事、それが二三年前から不義理な借金で、ほとんど首もまわらないと云う事――珍竹林主人はまだこのほかにも、いろいろ内幕の不品行を素っぱぬいて聞かせましたが、中でも私の心の上に一番不愉快な影を落したのは、近来はどこかの若・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・彼はほとんど悒鬱といってもいいような不愉快な気持ちに沈んで行った。おまけに二人をまぎらすような物音も色彩もそこには見つからなかった。なげしにかかっている額といっては、黒住教の教主の遺訓の石版と、大礼服を着ていかめしく構えた父の写真の引き延ば・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ ところが不思議な事には、こういう動かすべからざる自覚を持っているくせに、絶えず体じゅうが細かく、不愉快に顫えている。どんなにして已めようと思っても、それが已まない。 いつもと変らないように珈琲を飲もうと思って努力している。その珈琲・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・あんなに不愉快な飯を食ったことはない。B それは三等の切符を持っていた所為だ。一等の切符さえ有れあ当り前じゃないか。A 莫迦を言え。人間は皆赤切符だ。B 人間は皆赤切符! やっぱり話せるな。おれが飯屋へ飛び込んで空樽に腰掛けるの・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・どうせ吉弥が僕との関係を正直にうち明かすはずはないが、実は全く青木の物になっていて、かげでは、二人して僕のことを迂濶な奴、頓馬な奴、助平な奴などあざ笑っているのかも知れないと、僕は非常に不愉快を感じた。 しかし、不愉快な顔を見せるのは、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・同時に自分を案外安く扱う世間の声が耳に入ると不愉快で堪らなくなって愚痴を覆すようになった。緑雨の愚痴は壱岐殿坂時代から初まったが、それ以後失意となればなるほど世間の影口に対する弁明即ち愚痴がいよいよ多くなった。私が緑雨と次第に疎遠になったの・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・沈毅な二葉亭の重々しい音声と、こうした真剣な話に伴うシンミリした気分とに極めて不調和な下司な女の軽い上調子が虫唾が走るほど堪らなく不愉快だった。 十二時近くこの白粉の女が来て、「最う臥せりますからお床を伸べましょうか、」といった。遅いと・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・だから、私は私を悪評した人の文章を、腹いせ的に悪評して、その人の心を不愉快にするよりは、その人の文章を口を極めてほめるという偽善的態度をとりたいくらいである。まして、枕を高くして寝ている師走の老大家の眠りをさまたげるような高声を、その門前で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・という標語のかげにかくれて、やに下っている光景を想像して、不愉快になった。 ある種の戦争責任者である議会人がさきに軍官財閥の三閥を攻撃している図も、見っともよい図ではなかった。がかつて右翼陣営の言論人として自他共に許し、さかんに御用論説・・・ 織田作之助 「終戦前後」
出典:青空文庫