・・・ そして、あんなにデマを飛ばしていたこの人は寂しい人だったんだ、寂しがり屋だったんだと、ポソポソ不景気な声で呟いていた。 新聞に出ている武田さんの写真は、しかしきっとして天の一角を睨んでいた。・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・無学文盲で将棋のほかには全くの阿呆かと思われる坂田が、ボソボソと不景気な声で子供の泣き声が好きだという変梃な芸談を語ったのである。なにか痛ましい気持がするではないか。悲劇の人をここに見るような気すらする。 その坂田のことを、私はある文芸・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・と語りだした話も教師らしい生硬な語り方で、声もポソポソと不景気だった。「……壕舎ばかりの隣組が七軒、一軒当り二千円宛出し合うて牛を一頭……いやなに密殺して闇市へ売却するが肚でがしてね。ところが買って来たものの、屠殺の方法が判らんちゅう訳・・・ 織田作之助 「世相」
・・・チョッ不景気な、病人くさいよ、眼がさめたら飛び起きるがいいわさ。ヨウ、起きておしまいてえば。「厭あだあ、母ちゃん、お眼覚が無いじゃあ坊は厭あだあ。アハハハハ。「ツ、いい虫だっちゃあない、呆れっちまうよ。さあさあお起ッたらお起きナ、起・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ 資本家は不景気の責任を労働者に転嫁して、首切りをやる。それを安全にやるために、われ/\の前衛を牢獄につないで置くのだ、――今になって見ると、お君にはそのことがよく分った。メリヤス工場でもその手をやっていたのだ。今夫が帰って来てくれたら・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・ それから、看守の方をチラッと見て、「ヘン、しゃれたもんだ、この不景気にアパアト住いだなんて!」 と云って、出て行った。 長い欧州航路 監獄に廻わってから、何が一番気持ちがよかったかときかれたら、俺は六十・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・私はまた、次郎や末子の見ているところでこころざしばかりの金を包み、黒い水引きを掛けながら、「いくら不景気の世の中でも、二円の香奠は包めなくなった。お前たちのかあさんが達者でいた時分には、二円も包めばそれでよかったものだよ。」 と言っ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・「そうさね。不景気だからね。まあ大変に窶れているじゃあないか。そんなになったからには息張っていては行けないよ。息張るの高慢ぶるのという事は、わたしなんぞはとっくに忘れてしまったのだ。世に人鬼は無いものだ。つい構わずにどの内へでも這入って御覧・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・椰子やゴムの木の鉢と入り乱れて並んだ白いテーブルを取りかこんだ人々の群れには、家族連れも多かったが、ともかくも自分らのように不景気な男ばかりの仲間はまれであるように見受けられた。 テーブルの横の台の上に、ガラスの水槽が一つ置いてあって、・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳の市が立って、安物のおもちゃや駄菓子などの露店が並びましたが、いつ行って見ても不景気でお客さんはあまり無いようでした。売り手のじいさんやばあさんも長い煙管を吹かしたり編み物をしているのでありました・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
出典:青空文庫