・・・つまりあらゆる情熱は死よりも強いものなのであろう。且つ又恋はそう云うもののうちでも、特に死よりも強いかどうか、迂濶に断言は出来ないらしい。一見、死よりも強い恋と見做され易い場合さえ、実は我我を支配しているのは仏蘭西人の所謂ボヴァリスムである・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・と云いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、御行水も遊ばされず、且つ女人の肌に触れられての御誦経でござれば、諸々の仏神も不浄を忌んで、このあたりへは現ぜられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得た・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ さて心がら鬼のごとき目をみひらくと、余り強く面を圧していた、ためであろう、襖一重の座敷で、二人ばかりの女中と言葉を交わす夫人の声が、遠く聞えて、遥に且つ幽に、しかも細く、耳の端について、震えるよう。 それも心細く、その言う処を確め・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 三人この処に、割籠を開きて、且つ飲み且つ大に食う。その人も無げなる事、あたかも妓を傍にしたるがごとし。あまつさえ酔に乗じて、三人おのおの、その中三婦人の像を指し、勝手に選取りに、おのれに配して、胸を撫で、腕を圧し、耳を引く。 時に・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 清水は、人の知らぬ、こんな時、一層高く潔く、且つ湧き、且つ迸るのであろう。 蒼蝿がブーンと来た。 そこへ…… 六 いかに、あの体では、蝶よりも蠅が集ろう……さし捨のおいらん草など塵塚へ運ぶ途中に似た・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・神を信ずるよりも母を信ずる方が子供に取っては深く、且つ強いのである。実に母と子の関係は奇蹟と云っても可い程に尊い感じのするものであり、また強い熱意のある信仰である。そして、母と子の愛は、男と女の愛よりも更に尊く、自然であり、別の意味に於て光・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ レーニンの弁証法に、ブハーリンの史的唯物論に、もとより真理のある事を否まない。且つ、科学的基礎のあることをば信ずる。たゞこれを漫然と繙くものに、いずこにか、ナロードニーキの運動を嗤う権利があろう? 現代は、科学的という言葉に、あま・・・ 小川未明 「純情主義を想う」
・・・子供が彼等を見、彼等に対する考えこそ、人間として、一番高貴な、同情深い、且つ道義的のものではないでしょうか。 たとえば、屠殺場へ引かれて行く、歩みの遅々として進まない牛を見た時、或は多年酷使に堪え、もはや老齢役に立たなくなった、脾骨の見・・・ 小川未明 「天を怖れよ」
・・・更に考えるならば、そのような下手ものに魂の安息所を求めなければならぬところに現代のインテリの悲しさがあり且つ大阪のそこはかとなき愉しさがあるといえばいえるであろう。 土用近い暑さのところへ汁を三杯も啜ったので、私は全身汗が走り、寝ぼけた・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・下着類も案外汚れたのを平気で着て、これはもともとの気性だったが、なにか坂田は安心し、且つにわかに松本に対する嫉妬も感じた。 学生街なら、たいして老舗がついていなくても繁昌するだろうと、あちこち学生街を歩きまわった結果、一高が移転したあと・・・ 織田作之助 「雪の夜」
出典:青空文庫