・・・ 鉄道線路脇のちょっとした雑木林の陰に草を折り敷いて、向うの丘陵に二軒つづいた赤瓦屋根を入れたスケッチを始めた。 すぐ眼の前の道路を通行する人は多いが、一人も私の絵など覗きに来るものはない。おそらくこの辺では私のような素人絵かきはあ・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を考えさせられたの・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・コバルトの空には玉子色の綿雲が流れて、遠景の広野の果の丘陵に紫の影を落す。森のはずれから近景へかけて石ころの多い小径がうねって出る処を橙色の服を着た豆大の人が長い棒を杖にし、前に五、六頭の牛羊を追うてトボトボ出て来る。近景には低い灌木がとこ・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ、林泉ノ勝ニ名アリ。丘陵苑池、樹石花草巧ニ景致ヲ成ス。而シテ園中桜樹躑躅最多ク、亦自ラ遊観行楽ノ一地タリ。祠前ノ通衢、八重垣町須賀町、是ヲ狭斜ノ叢トナス。此地ノ狭斜ハ天保以前嘗テ一タビ之ヲ開ク。未ダ幾クナラズシ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・庭つづきになった後方の丘陵は、一面の蜜柑畠で、その先の山地に茂った松林や、竹藪の中には、終日鶯と頬白とが囀っていた。初め一月ばかりの間は、一日に二、三時間しか散歩することを許されていなかったので、わたくしはあまり町の方へは行かず、大抵この岡・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・私は都会の北方を限る小石川の丘陵をば一年一年に恋いしく思返す。 十二、三の頃まで私は自分の生れ落ちたこの丘陵を去らなかった。その頃の私には知る由もない何かの事情で、父は小石川の邸宅を売払って飯田町に家を借り、それから丁度日清戦争の始まる・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・それに家の前は八間のコンクリートの国道であり、後方には東海道本線が走り、クラウゼ的な丘陵で、落付けません。道ばたのあの土堤や松はもうない。つまり、あったとさえ想像出来ぬように無いのです。ですから私はやっぱり市内に家をさがしましょう。十二月中・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・右にも左にも丘陵の迫った真中が一面焼石、焼砂だ。一条細い道が跫跡にかためられて、その間を、彼方の山麓まで絶え絶えについている。ざらざらした白っぽい巌の破片に混って硫黄が道傍で凝固していた。烈しい力で地層を掻きむしられたように、平らな部分、土・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・櫛比した人家の屋根の波を踰え、鈍く光りつつ横わっている港の展望、福済寺は、長崎港の一番奥、東北よりの丘陵の上に位している。埋立地もなかった昔の浜辺から此処迄は近かったに相違ない。海路平安という文字を刻された慈海燈は、唐船入津の時、或は毎夜、・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・先月二十七日に来た時、東公園と呼ばれる一帯の丘陵はまだ薄すり赤みを帯びた一面の茶色で、枯木まじりに一本、コブシが咲いていた。その白い花の色が遠目に立った。やがて桜が咲いて散り、石崖の横に立つ何だかわからない二丈ばかりの木が、白い蕾を膨らませ・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
出典:青空文庫