・・・吾妻橋、厩橋、両国橋の間、香油のような青い水が、大きな橋台の花崗石とれんがとをひたしてゆくうれしさは言うまでもない。岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花にな・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・しかし事実は木橋だった両国橋の欄干が折れ、大勢の人々の落ちた音だった。僕はのちにこの椿事を幻灯か何かに映したのを見たこともあるように覚えている。 二三 ダアク一座 僕は当時回向院の境内にいろいろの見世物を見たものであ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・これと事柄は違えども、神田の火事も十里を隔てて幻にその光景を想う時は、おどろおどろしき気勢の中に、ふと女の叫ぶ声す。両国橋の落ちたる話も、まず聞いて耳に響くはあわれなる女の声の――人雪頽を打って大川の橋杭を落ち行く状を思うより前に――何とな・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・それですから善女が功徳のために地蔵尊の御影を刷った小紙片を両国橋の上からハラハラと流す、それがケイズの眼球へかぶさるなどという今からは想像も出来ないような穿ちさえありました位です。 で、川のケイズ釣は川の深い処で釣る場合は手釣を引いたも・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・隅田川にかかっていた橋は、両国橋のほかはすべて焼けおちてしまいました。 浜町や蔵前あたりの川岸で、火におわれて、いかだの上なぞへとびこんだ人々の中には、夜どおし火の風をあびつづけて、生きた思いもなく、こごまっていた人もあり、中にはくびの・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・何とかいう芝居で鋳掛屋の松という男が、両国橋の上から河上を流れる絃歌の声を聞いて翻然大悟しその場から盗賊に転業したという話があるくらいだから、昔から似よった考えはあったに相違ない。しかしまた昔はずいぶん人の栄華を見て奮発心を起して勉強した人・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・ 両国橋には不朽なる浮世絵の背景がある。柳橋は動しがたい伝説の権威を背負っている。それに対して自分は艶かしい意味においてしん橋の名を思出す時には、いつも明治の初年返咲きした第二の江戸を追想せねばならぬ。無論、実際よりもなお麗しくなお立派・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・わたくしはかつて『夏の町』と題する拙稾に明治三十年の頃には両国橋の下流本所御船倉の岸に浮洲があって蘆荻のなお繁茂していたことを述べた。それより凡十年を経て、わたくしは外国から帰って来た当時、橋場の渡のあたりから綾瀬の川口にはむかしのままにな・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ ○ 薬研堀がまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも、旧米沢町の河岸まで通じていた時分である。東京名物の一銭蒸汽の桟橋につらなって、浦安通いの大きな外輪の汽船が、時には二艘も三艘も、別の桟橋・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・「日本の花火の名所は、東京両国橋ですね。」「ええそのほか岩国とか石の巻とか、あちこちにもあります。」「なるほど。さあ、支度。」陳氏は二人の子供に向きました。一人の子は恭しくバスケットから、狼煙玉を持ち出しました。陳氏はそれを受け・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫