・・・ ――今年余寒の頃、雪の中を、里見、志賀の両氏が旅して、新潟の鍋茶屋などと併び称せらるる、この土地、第一流の割烹で一酌し、場所をかえて、美人に接した。その美人たちが、河上の、うぐい亭へお立寄り遊ばしたか、と聞いて、その方が、なお、お・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・を書かない前から、僕は会う人ごとに、新人として期待できるのはこの人だけだと言って来たが、僕がもし雑誌を編輯するとすれば、まず、太宰、坂口の両氏と僕と三人の鼎談を計画したい。大井広介氏を加えるのもいい。 文学雑誌もいろいろ出て「人間」・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・さいわい、山崎氏には、浅見、尾崎両氏の真の良友あり、両氏共に高潔俊爽の得難き大人物にして帷幕の陰より機に臨み変に応じて順義妥当の優策を授け、また傍に、宮内、佐伯両氏の新英惇徳の二人物あり、やさしく彼に助勢してくれている様でありますから、まず・・・ 太宰治 「砂子屋」
・・・佐藤、葛西、両氏に於いては、自由などというよりは、稀代のすねものとでも言ったほうが、よりよく自由という意味を言い得て妙なふうである。ダス・ゲマイネは、菊池寛である。しかも、ウール・シュタンドにせよ、ダス・ゲマイネにせよ、その優劣をいますぐこ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・山下氏のでも梅原氏のでも、近頃のものよりどうしても両氏の昔のものの方が絵の中に温かい生き血がめぐっているような気がするのである。故関根正二氏の「信仰の悲み」でも、今の変り種の絵とはどうもちがった腹の底から来る熱が籠っていると思われる。すべて・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・また友人小宮豊隆・安倍能成両氏の著書から暗示を受けた点も多いように思われるのである。 なお拙著「蒸発皿」に収められた俳諧や連句に関する所説や、「螢光板」の中の天災に関する諸編をも参照さるれば大幸である。・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ その翌日また別の席でこれらの人たちと晩餐を共にしてシュミット、ウィーゼ両氏の簡単な講演を聞く機会を得た。 北極をめぐる諸科学国が互いに協力して同時的に気象学的ならびに一般地球物理学的観測を行なういわゆるインターナショナル・ポーラー・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・介抱というても精神を慰めてもらうのであるから、先ずいろいろの話をしてその日を送って行く、その話というのも度々顔を合すようになっては珍らしい事も尽きてしまうので、碧虚両氏と会した時などは『唐詩選』を出して来て詩の評をするような事もあるが、自分・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・本社のいちはやく探知するところによればツェ氏は数日前よりはりがねせい、ねずみとり氏と交際を結びおりしが一昨夜に至りて両氏の間に多少感情の衝突ありたるもののごとし。台所街四番地ネ氏の談によれば昨夜もツェ氏は、はりがねせい、ねずみとり氏を訪問し・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・ この両作家の居られた時代を考えれば、それが必して智識の浅薄であったとか、研究の足りない頭であったとかは云われないのである。両氏が居られたのは明治三十年前後で、一葉女史の世を去られたのは明治二十九年、紅葉山人は明治三十六七年に、没せられ・・・ 宮本百合子 「紅葉山人と一葉女史」
出典:青空文庫