・・・天秤棒の両端に箱をつるし、ラウーイラウーイと呼んで歩いた旧い羅宇屋はいつかなくなって、新しい車に変ったのである。歯入屋も近年は大抵羅宇屋に似た車を曳いて来るようになった。 研屋は今でも折々天秤棒を肩にして、「鋏、庖丁、剃刀研ぎ」と呼わり・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・と圭さんは、両足を湯壺の中にうんと踏ん張って、ぎゅうと手拭をしごいたと思ったら、両端を握ったまま、ぴしゃりと、音を立てて斜に膏切った背中へあてがった。やがて二の腕へ力瘤が急に出来上がると、水を含んだ手拭は、岡のように肉づいた背中をぎちぎち磨・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・有限と無限と矛盾的自己同一の両端として、自己と神とがあるのである。而して絶対現在の瞬間的自己限定として、我々の自己は、神によって次の瞬間に存在するのである。私の絶対現在とは、多と一との絶対矛盾的自己同一的形式にほかならない。更に「第五省察」・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ いくら連続していてもその両端では大分ちがっています。太陽スペクトルの七色をごらんなさい。これなどは両端に赤と菫とがありまん中に黄があります。ちがっていますからどうも仕方ないのです。植物に対してだってそれをあわれみいたましく思うことは勿・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ ある小さい駅を通過した時、女がにない棒の両端へ木の桶をつって、水汲みに来たのを見た。駅の横手の広っぱに井戸がある。井戸側は四角い。ふたがちゃんとついている。大きな輪があって、そこについている小さいとってで輪をまわし、繩をゆるめて水を汲・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・日々の生活にあっては、今日と云い、今と云う、一画にぱっと照りつけた強い光りにぼかされて、微に記憶の蠢く過去と、糢糊としての予測のつかない未来とが、意識の両端に、静に懸っているのである。有のままをいえば、遠く過ぎ去った小学校時代を屡々追想して・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・ 柩の両端に太い麻繩は結いつけられて二人の屈強な男の手によって、頭より先に静かに――静かに下って行く。 降りそそぐ小雨の銀の雨足は白木の柩の肌に消えて行く。 スルスル……、スルスル、麻繩は男の手をすべる。 トトト……、トトト・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・○子供は、両端の小さくくれたくくり枕のような体を盛に動して家中をかけ廻った。○弱い、疲れた日差しが、細かい木の枝や葉のもつれをチラチラと壁の上に印して居る。その黒と黄の入り乱れた色彩は、そのディムな感じからも、まるきり、黄色・・・ 宮本百合子 「結婚問題に就て考慮する迄」
・・・たとえば中世の人間は地球はひらったい台のようなもので、その両端には地獄があると考えていた。地獄へおちる恐怖という宗教からの恐怖と、科学の未発達からおこった未知の世界への暗い恐怖という動物的な恐怖とを一つにして、地のはてというものに対する恐怖・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・棕梠の大鉢が舞台の両端に置かれてある。 ――電化による生産手段の発達は現在一日平均七・七一の労働時間を六・八六に短縮するでありましょう。プロレタリアート新文化建設の一進展として、文部省は五ヵ年計画の終りには完全な国庫負担による四年制の全・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
出典:青空文庫