・・・ 一行四人は兵衛の妹壻が浅野家の家中にある事を知っていたから、まず文字が関の瀬戸を渡って、中国街道をはるばると広島の城下まで上って行った。が、そこに滞在して、敵の在処を探る内に、家中の侍の家へ出入する女の針立の世間話から、兵衛は一度広島・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
近ごろ近ごろ、おもしろき書を読みたり。柳田国男氏の著、遠野物語なり。再読三読、なお飽くことを知らず。この書は、陸中国上閉伊郡に遠野郷とて、山深き幽僻地の、伝説異聞怪談を、土地の人の談話したるを、氏が筆にて活かし描けるなり。・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・が、手紙で知らして来た容子に由ると、その後も続いて沼南の世話になっていたらしく、中国辺の新聞記者となったのも沼南の口入なら、最後に脚気か何かの病気でドコかの病院に入院して終に死んでしまった病院費用から死後の始末まで万端皆沼南が世話をしてやっ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ そんなお君に中国の田舎から来た親戚の者は呆れかえって、葬式、骨揚げと二日の務めをすますと、さっさと帰って行き、家の中ががらんとしてしまった夜、異様な気配にふと眼をさまして、「誰?」 と暗闇に声を掛けたが、答えず、思わぬ大金をも・・・ 織田作之助 「雨」
・・・大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から京洛への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々殷賑を加えた。大内は西方智識の所有者であったから歟、堺の住民が外国と交商して其智識を移し得たからである歟、我邦の城は孑然と・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・もしそれ、中国にいたっては、冤枉の死刑は、ほとんどその五千年の歴史の特色の第一ともいってよいのである。 こう見てくれば、死刑は、もとより時の法度にてらして課されたものが多くをしめているのは、論のないところだが、なんびとかよく世界万国有史・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。 中国を相手の戦争は継続している。 × 私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であっ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・私が東京の大学へはいって、郷里の先輩に連れられ、赤坂の料亭に行った事があるけれども、その先輩は拳闘家で、中国、満洲を永い事わたり歩き、見るからに堂々たる偉丈夫、そうしてそのひとは、座敷に坐るなり料亭の女中さんに、「酒も飲むがね、酒と一緒・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・「すなわち高天原皆暗く、葦原中国ことごとに闇し」というのも、噴煙降灰による天地晦冥の状を思わせる。「ここに万の神の声は、狭蠅なす皆涌き」は火山鳴動の物すごい心持ちの形容にふさわしい。これらの記事を日蝕に比べる説もあったようであるが、日蝕のご・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・天気図によると二十一日午前六時にはかなりな低気圧の目玉が日本海の中央に陣取っていて、これからしっぽを引いた不連続線は中国から豊後水道のあたりを通って太平洋上に消えている。こういう天候で、もし降雨を伴なわないと全国的に火事や山火事の頻度が多く・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
出典:青空文庫