・・・一葉は当時上流人を集めていた中島歌子の塾に住みこみの弟子のようにしていたが、わがままな育ちの若い貴婦人たちのなかで彼女がどんなに才能をねたまれ、つらいめを見ていたかということは、こまかい插話にもうかがわれる。貧乏というものは口惜しいものだと・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・が現れたということが神崎清氏の婦人年鑑にあって、それから明治二十三年集会結社法で婦人の政談傍聴禁止がしかれるまで、成田梅子、村上半子、景山英子らの活溌な動きがあったのだが、岸田俊子にしろ当時の自由党員中島長城と結婚してからは、自分の過去の政・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・ 母への報告 中島敏子 稚いけれども、母亡いのち一家のために役立とうとして暮している娘さんのひとすじの生活が語られています。 こんな気取りのない調子で、いろいろ複雑な生活の観察も書かれたらルポルタージュとしてよいものが出来るだ・・・ 宮本百合子 「新女性のルポルタージュより」
・・・ 大笑い いって参ります=いてまいりまち 枕=おまくわ 舌を出してジョラン ふずめ 中島貞子 東京女大 東北大学ドイツ文科哲学「文科って――何」「それが大変なの」「本当は・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・傍聴席の右側下政友会中島派というあたりが発源地らしい見当である。黙ってろ! いわせろ! そういう罵声も交々であった。 米内首相の答弁ぶりは、一つも気の利いたところのないものであるが、答弁の精神的態度とでもいうべきものは、正面に自分の体の・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・例えば有名な中島湘煙、福田英子などという当時二十歳前後であった婦人政治家たちが、男女平等を唱えて日本全国を遊説した。大阪などでは少女が、政壇演説に出席したという話さえも伝っている。岡山には女子親睦会という政治結社が出来てあったし、仙台には女・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・来会者は井上、元良、中島、狩野、姉崎、常盤、中島、戸川、茨木、八田、大島、宮森、得能、紀平の諸氏であったという。これらの中の一番若い人でも大学生から見ると先生だったのであるから、こういう出来事はすべて別世界のことであって、わたくしたちには知・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫