・・・ 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下しながら、何度も点頭を繰り返した。「それはあるならばつけて上げます。しかし人間の脚はないのですから。――まあ、災難とお諦めなさい。しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々蹄鉄を打ちかえれば、どんな山道・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中手帳を取り出して、かねてからの不審の点を、からんだような言い振りで問いつめて行った。彼はこの場合、懐手をして二人の折衝を傍観する居心地の悪い立場にあった。その代わり、彼は生まれてはじめて、父・・・ 有島武郎 「親子」
・・・文芸上の作物は巧いにしろ拙いにしろ、それがそれだけで完了してると云う点に於て、人生の交渉は歴史上の事柄と同じく間接だ、とか何んとか。それはまあどうでも可いが、とにかくおれは今後無責任を君の特権として認めて置く。特待生だよ。A 許してくれ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・宿屋の硯を仮寝の床に、路の記の端に書き入れて、一寸御見に入れたりしを、正綴にした今度の新版、さあさあかわりました双六と、だませば小児衆も合点せず。伊勢は七度よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも三度目じゃと、いわれてお供に早が・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・い得べき芸術ならば何でもよい、只其名目を弄んで精神を味ねば駄目と云う迄である、予が殊に茶の湯を挙たのは、茶の湯が善美な歴史を持って居るのと、生活に直接で家庭的で、人間に尤も普遍的な食事を基礎として居る点が、最も社会と調和し易いからである、他・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・この家の二、三年前までは繁盛したことや、近ごろは一向客足が遠いことや、土地の人々の薄情なことや、世間で自家の欠点を指摘しているのは知らないで、勝手のいい泣き言ばかりが出た。やがてはしご段をあがって、廊下に違った足音がすると思うと、吉弥が銚子・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・今でも時偶は残っていて、先年の椿岳展覧会にも二、三点見えたが、椿岳の作では一番感服出来ないものであった。尤もニスを塗った処が椿岳の自慢で、当時はやはり新らしかったのである。椿岳の画料 椿岳は画を売って糊口したのではなかった。貧乏して・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・もちろん海抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわが邦のごとき山国におけるごとく洪水の害を見ることはありません。しかしその比較的に少きこの害すらダルガスの事業によって除かれたのであります。 かくのごとくにしてユトランドの全州は・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・そのとき、なにか一つ黒い点のようなものが、夕空をこなたに向かってだんだん近づいてくるように見えたのであります。みんなはしばらく、目をみはってそのものに気をとられていました。「あれは、なんだろうか。こちらに向かってこいでいるようだ。」・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・ けれど、その実吉新の主の新造というのは、そんな悪でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本が充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父は新五郎といって・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫