・・・と言うのはその秋の彼岸の中日、萩野半之丞は「青ペン」のお松に一通の遺書を残したまま、突然風変りの自殺をしたのです。ではまたなぜ自殺をしたかと言えば、――この説明はわたしの報告よりもお松宛の遺書に譲ることにしましょう。もっともわたしの写したの・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・双六”の第一歩を踏みだしてはどうかと進言したのが前記田所氏、二人は『お互い依頼心を起さず、独立独歩働こう、そして相手方のために、一円ずつ貯金して、五年後の昭和十五年三月二十一日午後五時五十三分、彼岸の中日の太陽が大阪天王寺西門大鳥居の真西に・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ひとつには、この橋を年中日に何度となく渡らねばならぬことが、さように感じさせるのだろう。橋の近くにある倉庫会社に勤めていて、朝夕の出退時間はむろん、仕事が外交ゆえ、何度も会社と訪問先の間を往復する。その都度せかせかとこの橋を渡らねばならなか・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・ 酒中日記とは大河自から題したるなり。題して酒中日記という既に悲惨なり、況んや実際彼の筆を採る必ず酔後に於てせるをや。この日記を読むに当て特に記憶すべきは実に又この事実なり。 お政は児を負うて彼に先ち、お露は彼に残されて児を負う。何・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「酒中日記」の如き、日清戦争後の軍人が、ひどく幅をきかした風潮を、皮肉りあてこすっている作品でも、将校はいゝのだが、下士以下が人の娘や、後家や、人妻を翫弄し堕落させるとしている。将校は営外に居住し得、妻帯し得るのに対して、下士以下兵卒は・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・しかし相対原理が一般化されて重力に関する学者の考えが一変しても、りんごはやはり下へ落ち、彼岸の中日には太陽が春分点に来る。これだけは確実である。力やエネルギーの概念がどうなったところで、建築や土木工事の設計書に変更を要するような心配はない。・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・日本が中日事変を加えて一五〇万人。ところがアメリカは四九万人を死なしただけですんだ。アメリカの一年間の交通事故で死ぬ人よりも少い損傷ですんだ。イギリスは自治領を加えて四五万人。国土が安全であったアメリカは、軍人でない生命の犠牲は数においてみ・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・桂屋太郎兵衛の刑の執行は、「江戸へ伺中日延」ということになった。これは取り調べのあった翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都において大嘗会御執行相成り候てより日限も相立たざる儀につき、太郎兵衛事、死罪御赦・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫