・・・家の軒はいずれも長く突き出で円い柱に支えられている。今日ではこのアアチの下をば無用の空地にして置くだけの余裕がなくって、戸々勝手にこれを改造しあるいは破壊してしまった。しかし当初この煉瓦造を経営した建築者の理想は家並みの高さを一致させた上に・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・と誦して髯ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。「夢の話しを蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢に画を活かす話しじゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を読む気・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・理髪店の軒先には、紅白の丸い棒が突き出してあり、ペンキの看板に Barbershop と書いてあった。旅館もあるし、洗濯屋もあった。町の四辻に写真屋があり、その気象台のような硝子の家屋に、秋の日の青空が侘しげに映っていた。時計屋の店先には、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・松の茂った葉と葉との間から、曇った空が人魂のように丸い空間をのぞかせていた。 安岡は這うようにして進んだ。彼の眼をもしその時だれかが見たなら、その人はきっと飛び上がって叫んだであろう。それほど彼は熱に浮かされたような、いわば潜水服の頭に・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
○十年ほど前に僕は日本画崇拝者で西洋画排斥者であった。その頃為山君と邦画洋画優劣論をやったが僕はなかなか負けたつもりではなかった。最後に為山君が日本画の丸い波は海の波でないという事を説明し、次に日本画の横顔と西洋画の横顔とを並べ画いてそ・・・ 正岡子規 「画」
・・・厳かにそのあやしい円い熔けたようなからだをゆすり間もなく正しく空に昇った天の世界の太陽でした。光は針や束になってそそぎそこらいちめんかちかち鳴りました。 天の子供らは夢中になってはねあがりまっ青な寂静印の湖の岸硅砂の上をかけまわりました・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・沢や婆の丸い背を見つけると、彼女は、「おう、婆やでないかい」と云いながら、眼鏡をはずした。眼鏡は、鼻に当るところに真綿が巻きつけてある。五つ年下の植村婆さんは、耳の遠い沢やに、大きな声で悠くり訊いた。「いよいよ行ぐかね?」 ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 琥珀色を帯びた円い顔の、目の縁が薄赤い。その目でちょいと花房を見て、直ぐに下を向いてしまった。Cliente としてこれに対している花房も、ひどく媚のある目だと思った。「寝台に寝させましょうか」 と、附いて来た佐藤が、知れ切っ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・お霜は床に腰を下ろすと、うっとりしながら眼の前に拡っている茶の木畑のよく刈り摘まれた円い波々を眺めていた。小屋の裏手の深い掘割の底を流れる水の音がした。石橋を渡る駄馬の蹄の音もした。そして、満腹の雀は弛んだ電線の上で、無用な囀りを続けながら・・・ 横光利一 「南北」
・・・その時、まず第一に問題となったのは、「大地は円いかどうか」ということであった。羅山はハビアンの説明を全然受けつけず、この問題を考えてみようとさえしていない。次に問題となったのは、プリズムやレンズなどであるが、羅山はキリシタンに対する憎悪をこ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫