・・・ まだ二十歳そこらであろう、久留米絣の、紺の濃く綺麗な処は初々しい。けれども、着がえのなさか、幾度も水を潜ったらしく、肘、背筋、折りかがみのあたりは、さらぬだに、あまり健康そうにはないのが、薄痩せて見えるまで、その処々色が褪せて禿げてい・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・んな、実体、ですか、真相、ですか、そんなものはわからず、ここ二、三年頑張れば、どうにかこうにか対等の資格で、和睦が出来るくらいに考えていまして、大谷さんがはじめて私どもの店にあらわれた時にも、たしか、久留米絣の着流しに二重廻しを引っかけてい・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・夫にはマントがなかった。久留米絣の着物にハンチング、濃紺の絹の襟巻を首にむすんで、下駄だけは、白く新しかった。妻にもコオトがなかった。羽織も着物も同じ矢絣模様の銘仙で、うすあかい外国製の布切のショオルが、不似合いに大きくその上半身を覆ってい・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・でも、少年は悲しく緊張して、その風俗が、そっくり貴公子のように見えるだろうと思っていたのです。久留米絣に、白っぽい縞の、短い袴をはいて、それから長い靴下、編上のピカピカ光る黒い靴。それからマント。父はすでに歿し、母は病身ゆえ、少年の身のまわ・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ 私は、服装のことで思い悩む。久留米絣にセルの袴が、私の理想である。かたぎの書生の服装が、私の家の人たちを、最も安心させるだろう。そうでなければ、ごくじみな背広姿がよい。色つきのワイシャツや赤いネクタイなど、この場合、極力避けなければな・・・ 太宰治 「花燭」
・・・肩から袖口にかけての折目がきちんと立っているま新しい久留米絣の袷を着ていたのである。たしかに青年に見えた。あとで知ったが、四十二歳だという。僕より十も年うえである。そう言えば、あの男の口のまわりや眼のしたに、たるんだ皺がたくさんあって、青年・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 客は、ひとりであった。久留米絣を着ていた。女中に通され、黙って私のまえに坐って、ていねいな、永いお辞儀をした。私は、せかせかしていた。ろくろく、お辞儀もかえさず、「ひと違いなんです。お気の毒ですが、ひと違いなんです。ばかばかしいの・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・その時の服装は、白い半袖のシャツに、久留米絣のモンペをつけていました。 逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と。・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ 十時に三木が、酔ってかえった。久留米絣に、白っぽいごわごわした袴をはいて、明治維新の書生の感じであった。のっそり茶の間へはいって来て、ものも言わず、長火鉢の奥に坐っている老母を蹴飛ばすようにして追いたて、自分がその跡にどっかと坐って、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・けれども私は、自分の衣服を買う事に於いては、極端に吝嗇なので、この三、四年間に、夏の白絣一枚と、久留米絣の単衣を一枚新調しただけである。あとは全部、むかし母から送られ、或る種の倉庫にあずけていたものを必要に応じて引き出して着ているのである。・・・ 太宰治 「服装に就いて」
出典:青空文庫