・・・右手な神社のまた右手の一角にまっ黒い大石が乱立して湖水へつきいで、そのうえにちょっとした宿屋がある。まえはわずかに人の通うばかりにせまい。そこに着物などほしかけて女がひとり洗濯をやっていた。これが予のいまおる宿である。そして予はいま上代的紅・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・桃色珊瑚ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠の形をした環状の台座のようなものがあり、周囲には純白で波形に屈曲した雄蕊が乱立している。およそ最も高貴な蘭科植物の花などよりも更に遥かに高貴な相貌・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・公園は之がために年と共に俗了し、今は唯病樹の乱立する間に朽廃した旧時の堂宇と、取残された博覧会の建築物とを見るばかりとなった。わたくしをして言わしむれば、東京市現時の形勢より考えて、上野の公園地は既に狭隘に過ぐる憾がある。現時園内に在る建築・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 選挙運動がはじまって、乱立した各党が一票を我党へ、の活動を開始しはじめるや否や、この憲法草案が、どれほど日本の民主化のために害悪を及ぼすものであるかが誰の目にも明らかになって来ている。 今日、共産党以外の政党は、悉く、天皇制護持と・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
・・・苔を被ぶりたる大石乱立したる間を、水は潜りぬけて流れおつ。足いと長き蜘蛛、ぬれたる巌の間をわたれり、日暮るる頃まで岩に腰かけて休い、携えたりし文など読む。夕餉の時老女あり菊の葉、茄子など油にてあげたるをもてきぬ。鯉、いわなと共にそえものとす・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫