・・・ この日は少し曇っていて、それでいて道路の土が乾き切っているので街道は塵が多く、川越街道の眺めが一体に濁っていた。 巣鴨から上野へと本郷通りを通るときに、また新しい経験をした。毎週一、二度は必ず車で通る大学前の通りが、今日はいつもと・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・斜めに来る光がこの饅頭笠をかぶった車夫の影法師を乾き切った地面の白い上へうつして、それが左右へゆれながら飛んで行くのが訳もなく子供心に面白かったと見える。自分はこの車夫に椎茸と云う名をつけた。それは影法師の形がいくらか似ていると思ったからで・・・ 寺田寅彦 「車」
・・・その絵の景色には、普通日本人の頭にある京都というものは少しも出ていなくて、例えばチベットかトルキスタンあたりのどこかにありそうな、荒涼な、陰惨な、そして乾き切った土地の高みの一角に、「屋根のある棺柩」とでも云いたいような建物がぽつぽつ並んで・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・すると俄かに下で『大丈夫です、すっかり乾きましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手とがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスが・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・爾薩待「ああ、なるほど、これはね、こいつはね、あんまり乾き過ぎたという訳でもない、また水はけの悪いためでもない。」農民二「はあ、全ぐその通りだんす。」爾薩待「そうでしょう。またあんまり厚く蒔き過ぎたというのでもない。まあ一反歩四・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・白樺の細い丸木を組んだ小橋が、藪柑子の赤い溝流れの上にかかったりしていたところからそこへ入って行ったので、乾きあがって人気ない湯殿の内部は大層寂しく私たちの目にうつった。 そしたら、その湯殿が、広業寺の温泉なのだった。尼さんは、いい年な・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ 雪解け後は乾ききったモスクワから来るとそういう風景は、水っぽく寂しく、いかにもヨーロッパ北部の感じだった。 ここにまたネ河が流れている。一九一七年の十月二十五日払暁三時半にはこの河を巡洋艦「アウロラ」がさかのぼって来て、冬宮に砲口・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 処が、只さえ万物を乾き、美しくなく見せる残暑の真昼の中で俥から下りると、自分は、殆ど、一種の極り悪さを感じる程、家は小さく、穢く異様に見えた。 武岳と云う医者の横と、葉茶屋の横との、三尺ばかりの曲り口も、如何にも貧弱に、裏店と云う・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
二日も降り続いて居た雨が漸う止んで、時候の暑さが又ソロソロと這い出して来た様な日である。 まだ乾き切らない湿気と鈍い日差しが皆の心も体も懶るくさせて、天気に感じ易い私は非常に不調和な気分になって居た。 一日中書斎に・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・雲が薄くなり、稀に、光った雨脚が京都と同じように乾きの早い白い道に降る。上海などへ連絡する船宿の並んだ通りをぬけ、港沿いに俥が駛る。昼ごろの故か、往来は至って閑散だ。左側に古風な建物の領事館などある。或角を曲った。支那両替屋の招牌が幌を掠め・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
出典:青空文庫