・・・ 争闘は短かった。 蜂は間もなく翅が利かなくなった。それから脚には痲痺が起った。最後に長い嘴が痙攣的に二三度空を突いた。それが悲劇の終局であった。人間の死と変りない、刻薄な悲劇の終局であった。――一瞬の後、蜂は紅い庚申薔薇の底に、嘴・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれた。 鼻歌も歌わずに、汗を肥料のように畑の土に滴らしながら、農夫は腰を二つに折って地面に噛り付いた。耕馬は首を下げられるだけ下げて、乾き切らない土の中に脚を深く踏みこみながら、絶えず尻尾で虻を追った。し・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・私の心の中では聖書と性慾とが激しい争闘をしました。芸術的の衝動は性欲に加担し、道義的の衝動は聖書に加担しました。私の熱情はその間を如何う調和すべきかを知りませんでした。而して悩みました。その頃の聖書は如何に強烈な権威を以て私を感動させました・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・ もし階級争闘というものが現代生活の核心をなすものであって、それがそのアルファでありオメガであるならば、私の以上の言説は正当になされた言説であると信じている。どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、頭領であれ、第四階級な労働者・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・ここまでいうと「有島氏が階級争闘を是認し、新興階級を尊重し、みずから『無縁の衆生』と称し、あるいは『新興階級者に……ならしてもらおうとも思わない』といったりする……女性的な厭味」と堺氏の言った言葉を僕自身としては返上したくなる。 次に堺・・・ 有島武郎 「片信」
・・・濁水を冒して乳牛を引出し、身もその濁水に没入してはもはや水との争闘である。奮闘は目的を遂げて、牛は思うままに避難し得た。第一戦に勝利を得た心地である。 洪水の襲撃を受けて、失うところの大なるを悵恨するよりは、一方のかこみを打破った奮闘の・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・そうして其等の人たちは現実には楽しみもあれば苦しみもあり、またヨリ多くの苦痛のあることも知っているし、平和の姿もあれば争闘の姿もあるということを知りぬいているので、決して片寄った観方をしない。稀れに傾向の著るしい作家があって、虚無主義に立っ・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・という次第は、彼ら争闘を続けている限りは、その自由をうる時がない、すなわち幽閉である。封じかつ縛せられているのである。人類相争う限り、彼らはまだ、その真の自由を得ていないという意味を示してみたいものである。」「お示しなさいな。御勝手に」・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・「そこはね、みんながおたがいに友だちになって、悲しい事も争闘もしない所です」「私はそこに行きたいなあ」 と子どもが言いました。「私もですよ」 と憂さ辛さに浮き世をはかなんださびしいおかあさんも言いました。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・猛獣の争闘のように血を流し肉を破らないから一見残酷でないようでありむしろ滑稽のようにも見えるが、実は最も残忍な決闘である。精神的にこれとよく似た果たし合いは人間の世界にもしばしばあるが、不思議なことにはこういう種類の決闘は法律で禁じられてい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
出典:青空文庫