・・・「とうとうお目出度なったそうだな、ほら、あの槙町の二弦琴の師匠も。……」 ランプの光は鮮かに黒塗りの膳の上を照らしている。こう云う時の膳の上ほど、美しい色彩に溢れたものはない。保吉は未だに食物の色彩――からすみだの焼海苔だの酢蠣だの・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・僕は琴にしたくなかったから、いや二絃琴だよと異を樹てた。しばらくは琴だ二絃琴だと云って、喧嘩していたが、その中に楽器の音がぴったりしなくなった。今になって考えて見ると、どうもあれはこっちの議論が、向うの人に聞えたのに相違ない。そう思うと、僕・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
根津の大観音に近く、金田夫人の家や二弦琴の師匠や車宿や、ないし落雲館中学などと、いずれも『吾輩は描である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥先生の居は、去年の暮れおしつまって西片町へ引・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・すじ向いの家で二絃琴を弾いて居る。お妙ちゃんはそれにかるい調子で合わせて居たがフッとだまって私の横がおをジーッとまばたきもしないで見つめて居る。「ドうして? 何んかくっついてる?」私はこんな事をきいた。「どうもせんけど……別れてしもうた時よ・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
出典:青空文庫