・・・ 松山へ来てから二月余り後、左近はその甲斐があって、ある日城下に近い海岸を通りかかると、忍駕籠につき添うた二人の若党が、漁師たちを急がせて、舟を仕立てているのに遇った。やがて舟の仕度が出来たと見えて、駕籠の中の侍が外へ出た。侍はすぐに編・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・しかしある二月の晩、達雄は急にシュウベルトの「シルヴィアに寄する歌」を弾きはじめるのです。あの流れる炎のように情熱の籠った歌ですね。妙子は大きい椰子の葉の下にじっと耳を傾けている。そのうちにだんだん達雄に対する彼女の愛を感じはじめる。同時に・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・自殺しうる男とはどうしても信じかねながら、もし万一死ぬことができたなら……というようなことを考えて、あの森川町の下宿屋の一室で、友人の剃刀を持ってきて夜半ひそかに幾度となく胸にあててみた……ような日が二月も三月も続いた。 そうしてるうち・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・大正三年二月 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静に療養をしたので、このごろ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・頃は旧暦の二月、田舎では年中最も手すきな時だ。問題に趣味のあるだけ省作の離縁話はいたるところに盛んである。某々がたいへんよい所へ片づいて非常に仕合せがよいというような噂は長くは続かぬ。しかしそれが破縁して気の毒だという場合には、多くの人がさ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 一月、二月とたつにつれて、ますますお母さんや、田舎のことが思い出されてなりません。「それにしても、どうしてお母さんから手紙がこないのだろう。病気で、ねておいでなさるのではないかしらん。」 こう思うと、母親思いの真吉はたまらなく・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・正真なところ、二月生まれの十九ですから……お光さんからもそうちょっと断っておもらい申すでしたにねえ」「そりゃ言いましたとも。お世話をしようてのに、年を言わないってことがあるものですか、ほほほほ、何ですよ! 阿母さん」「大きにね、御免・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ しかし豹一は二月も寝ていなかった。絶えず何かの義務を自分に課していなければ気のすまぬ彼は、無為徒食の臥床生活がたまらなく情けなかった。母親の愛情だけで支えられて生きているのは、何か生の義務に反くと思うのだった。妓に裏切られた時に完膚な・・・ 織田作之助 「雨」
・・・それが自分の二月じゅうの全収入……こればかしの金でどう使いようもないと思ったのが、偶然にもおせいの腹の子の産衣料となったというわけである。そして彼女はあのとおり嬉しそうな顔をしている。無智とも不憫とも言いようのない感じではないか。それにつけ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫