・・・自分の記憶に誤りがないならば、吾妻橋から新大橋までの間に、もとは五つの渡しがあった。その中で、駒形の渡し、富士見の渡し、安宅の渡しの三つは、しだいに一つずつ、いつとなくすたれて、今ではただ一の橋から浜町へ渡る渡しと、御蔵橋から須賀町へ渡る渡・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ええと、僕よりも五つ下だね、」とSは指を折って見て、「三十四か? 三十四ぐらいで死んだんじゃ、」――それきり急に黙ってしまった。 僕は格別死んだことを残念に思ってはいなかった。しかし何かSの手前へも羞かしいようには感じていた。「仕事・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・ お前たちが六つと五つと四つになった年の八月の二日に死が殺到した。死が総てを圧倒した。そして死が総てを救った。 お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・小僧は、もの心ついた四つ五つ時分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母さんは、娘の時に一度死んで、通夜の三日の真夜中に蘇生った。その時分から酒を飲んだから酔って転寝でもした気でいたろう。力はあるし、棺桶をめりめりと鳴らした。それが高島田・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ この暑さに、五つ紋の羽織も脱がない、行儀の正しいのもあれば、浴衣で腕まくりをしたのも居る。――裾模様の貴婦人、ドレスの令嬢も見えたが、近所居まわりの長屋連らしいのも少くない。印半纏さえも入れごみで、席に劃はなかったのである。 で、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・線香と花とを五つに分けて母の石塔にまで捧げた。姉夫婦も無言である、予も無言である。「お父さんわたいお祖父さん知ってるよ、腰のまがった人ねい」「一昨年お祖父さんが家へきたときに、大きい銀貨一つずつもらったのをおぼえてるわ」「お父さ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・民子に半分やれば民子は一つで沢山というから、僕はその五つを持ってそのまま裏から抜けて帰ってしまった。さすがにこの時は戸村の家でも家中で僕を悪く言ったそうだけれど、民子一人はただにこにこ笑って居て、決して政夫さん悪いとは言わなかったそうだ。こ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・――それが面白い子よ。五つ六つの時から踊りが上手なんで、料理屋や待合から借りに来るの。『はい、今晩は』ッて、澄ましてお客さんの座敷へはいって来て、踊りがすむと、『姉さん、御祝儀は』ッて催促するの。小癪な子よ。芝居は好きだから、あたいよく仕込・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・私の外曾祖父の家にもこの種の写本が本箱に四つ五つあった。その中に馬琴の『美少年録』や『玉石童子訓』や『朝夷巡島記』や『侠客伝』があった。ドウしてコンナ、そこらに転がってる珍らしくもないものを叮嚀に写して、手製とはいえ立派に表紙をつけて保存す・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・などと云い云い普通の人が一つ二つを喰う間に五つも六つもペロペロと平らげた。 が、贅沢は食物だけであって、衣服や道具には極めて無頓着であった。私が初めて訪問した時にダーウィンの『種原論』が載っていた粗末な卓子がその後脚を切られて、普通の机・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫