・・・むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷の土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。そのとき、彼等の船が此の山脈へ衝突した。突きあたった跡がいまでも残っている。山・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ 大正八年の秋始て帝国劇場に於てオペラを演奏した芸人の一座は其本国を亡命した露西亜人によって組織せられていた。露西亜は欧米の都会に在ってさえ人々の常に不可思議なる国土となす所である。況やわたくしは日本の東京に於て偶然露西亜語を以て唱われ・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・そして「事実上ドイツ文化を代表するすべてのものが亡命する」結果になったのであるといっている点である。ドイツの知識人たちは、ナチスの運動がその背後にどんな大きいドイツの軍国主義者と資本家の大群をひかえているかということを洞察せず、馬鹿にしてい・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ ナチスから追われて国外に亡命したトーマス・マンの全家族、フォイヒトワンガー、ルドリヒ・レーン、エルンスト・トルラーなどは、それぞれ国外で反ファシズムと世界文化擁護のための活動をしていた。 けれども日本の一九三七年はメーデーを正式に・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・パリには、八万五千人ものドイツ亡命者がいた。当時のドイツの野蛮な圧迫が、人間らしく社会の幸福を願い進歩をねがう人々を、そんなにもどっさり国内から圧し出していたのであった。 マルクス夫妻は、こういうパリに移って来て、友人の三家族と一緒に、・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・一度はフィレンツェ市の防衛のためにサン・ミニアトの丘に立ったミケルアンジェロが、亡命者としてローマに止まり、人々をその悲痛さで撃つばかりのピエタを作りながら、九十年の生涯を終る有様は、波瀾に波瀾を重ねるフィレンツェ市の推移とともに見事な浮彫・・・ 宮本百合子 「現代の心をこめて」
・・・そして、バルチック海軍兵士の革命的組織に関係し、のち亡命して長くイギリスで海員生活をした。彼は殆どこれまで唯一のソヴェト海洋作家である。婦人の作家――もとは小学校の女教師で党員作家であるアンナ・カラヴァーエヴァも出かけた。 彼等は、赤軍・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・日本では、一九三三年以後の社会と文学の形相があまり非理性的で殺伐であったために、その時期に青年期を経たインテリゲンチャの多くの人が、その清新生活では主として人民戦線のフランスに亡命した形があった。野間宏にしろ、加藤周一にしろ。それらの人たち・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・シェストフはキエフ生れのロシア人で一九一七年にロシアからフランスへ亡命した評論家である。『ドストイェフスキーとニイチェ』そのほか六巻の著作をもった男だそうである。元来シェストフの不安と云われるものは理性への執拗な抗議、すべて自明とされるもの・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・野間宏の人間と文学との過程が人々の関心をよびさましているのは、そのように、国内での脱出、国内亡命を生きて来た現代の一つの精神が、彼の選んだ政治の路線をどのような角度でとおって、日本土着の人民の運命に密着し、帰属してゆくか、という点である。野・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
出典:青空文庫