・・・父の亡魂なのだ。不孝の子を父ははるばると訪ねてきてくれたのだと思うと私はまた新しく涙が出てきたが、私は父を慕う心持で胸がいっぱいになった。「お前も来い! 不憫な子よ、お前の三十五年の生涯だって結局闇から闇に彷徨していたにすぎないんだが、私の・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・かれは『過去』の亡魂である、それでもいい足りない。『封建時代』の化石である、それでもいい足りない。谷川の水、流れとともに大海に注がないで、横にそれて別に一小沢を造り、ここに淀み、ここに腐り、炎天にはその泥沸き、寒天にはその水氷り、そしてつい・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・とある、これが昔おろした子供の亡魂の幻像であったというのである。実に簡潔で深刻に生ま生ましい記載である。蓮の葉はおそらく胎盤を指すものであろうか。こういう例は到底枚挙する暇のないことであろう。 錯綜した事象の渾沌の中から主要なもの本質的・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・精霊棚を設けて亡魂を迎える人はやはり今でもあるのである。これがある限り日本はやはり日本である。そんな事を話しながら一九三三年の銀座を歩くのであった。 三 熱帯魚 百貨店の花卉部に熱帯魚を養ったガラス張りの水槽が並んで・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・春寒の夜を深み、加茂川の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。 桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
出典:青空文庫