・・・ 夏目先生から自分はかつて一度もその幼時におけるS先生との交渉について聞いた覚えがなかったので、この手紙の内容が全く天から落ちたものででもあるように意外に思われた。そうして何となくこれは本当かしらという気がするのであった。しかしS先生が・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・二人の生活の交渉点へ触れてゆく日になれば、語りたいことや訊きたいことがたくさんあった。三十年以前に死んだ父の末子であった私は、大阪にいる長兄の愛撫で人となったようなものであった。もちろん年齢にも相当の距離があったとおりに、感情も兄というより・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・そうしてその科学界を組織する学者の研究と発見とに対しては、その比較的価値所か、全く自家の着衣喫飯と交渉のない、徒事の如く見傚して来た。そうして学士会院の表彰に驚ろいて、急に木村氏をえらく吹聴し始めた。吹聴の程度が木村氏の偉さと比例するとして・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・宗教の事は世のいわゆる学問知識と何ら交渉もない。コペルニカスの地動説が真理であろうが、トレミーの天動説が真理であろうが、そういうことは何方でもよい。徳行の点から見ても、宗教は自ら徳行を伴い来るものであろうが、また必ずしもこの両者を同一視する・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・ ――諸君、善良なる諸君、われわれは今、刑務所当局に対して交渉中である! 同志諸君の貴重なる生命が、腐敗した罐詰の内部に、死を待つために故意に幽閉されてあるという事実に対して、山田常夫君と、波田きし子女史とは所長に只今交渉中である。また・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・だから、誉められても標準に無交渉なので嬉しくもなければ、譏られても見当違いだから、何の啓発される所もなかった。いわば、自分で独り角力を取っていたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしていたのである。というのは、文・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・ 2 狼森と笊森、盗森人と森との原始的な交渉で、自然の順違二面が農民に与えた永い間の印象です。森が子供らや農具をかくすたびに、みんなは「探しに行くぞお」と叫び、森は「来お」と答えました。 3 烏の北斗七星戦う・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・ 三 村役場と村役場、村役場と姪の一家族。交渉はなかなか手間どった。永年住んでいたものだから、毎月敷生村から救済費として米を六升ずつ送る条件で、愈々沢や婆は柳田村に移されることになった。 沢や婆は、一軒・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・此の恐るべき文学の包括力が、マルクスをさえも一個の単なる素材となすのみならず、宇宙の廻転さえも、及び他の一切の摂理にまで交渉し得る能力を持っているとするならば、われわれの文学に対する共通の問題は、一体、いかなる所にあるのであろうか。それは、・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・それから先の茸との交渉は厳密に彼自身の体験である。茸狩りを始めた子供にとっては、彼の目ざす茸がどれほどの使用価値や交換価値を持つかは、全然問題でない。彼にはただ「探求に価する物」が与えられた。そうして子供は一切を忘れて、この探求に自己を没入・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
出典:青空文庫