・・・文化国家は国家の統制力によって、個人が孤立しては到底得られないような教養と力と自由とを国民に享受せしめねばならぬ。かかる理想から労働者階級に対する国家としての道徳的義務がある。労働階級といえどもこの努力に協力するの義務がある。富裕階級が労働・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅びやかな境界に神経を消耗させながら享受する歓楽などよりも遥に嬉しいことと思・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・なんという大きい特権を私は享受していたことだろう。しかも平気で。心配もなく、寂しさもなく、苦しみもなかった。お父さんは、立派なよいお父さんだった。お姉さんは、優しく、私は、いつもお姉さんにぶらさがってばかりいた。けれども、すこしずつ大きくな・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・という名前にして発表したなら、あんな、なごやかな晩年を享受できたかどうか、疑わしい。 私小説を書く場合でさえ、作者は、たいてい自身を「いい子」にして書いて在る。「いい子」でない自叙伝的小説の主人公があったろうか。芥川龍之介も、そのような・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・けれどもこの刺激は前に述べた条件に基いて、ある具体、ことに人間を通じて情があらわるるときに始めて享受する事ができるのであります。情において興味を有するからと云うて心理学者のように情だけを抽象して、これを死物として取扱えば文芸的にはなり兼ねる・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・が、一九三六年の当時に及んで、日本古典の問題は、芸術における伝統の享受、発展への要求の範囲を脱し、一種教化統制の風潮を著しくして来た。これを無条件に礼讚せざるものは、健全な日本文化人に非ずという強面をもって万葉文学、王朝文学、岡倉天心の業績・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・社会主義的民主主義は社会生産の形態を、利潤の要求から直接生産者への享受に進展させているから。そういう社会生活の上に生じた笑いの欲望につづいて、五年間ソヴェト同盟が耐えて来たナチとの闘争は、七百万人の命を犠牲とする苛烈なものであった。永い忍耐・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・我々の世代が、文化を十分に享受しようと欲している熱意と、明日の文化をより豊にしようと希ってつとめている努力とは周密に観察され支持されねばならぬと信じる。〔一九四〇年十二月〕 宮本百合子 「世代の価値」
・・・ このように相反する時代精神を享受する情熱が、何故に芭蕉の芸術的精神を肯けないのであろう。抽象性は、何故に芭蕉に面して透明を欠き、具体的となるのであろうか。 芭蕉の作物には源氏物語のような書きだしがないからであろうか。或は林氏のよう・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・作家横光は、日本における文学史の一時期との相対関係の上から一人のブルジョア作家として、最も不幸なる幸運とでも云うようなものを享受していたと考えられる。小林秀雄氏の評論家的出発点とその存在意義と横光氏のそれとは酷似した運命におかれた。文学の真・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫