・・・ 天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
『学問の独立』緒言 近年、我が日本において、都鄙上下の別なく、学問の流行すること、古来、未だその比を見ず。実に文運降盛の秋と称すべし。然るに、時運の然らしむるところ、人民、字を知るとともに大いに政治の思想を喚・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
一、世に為政の人物なきにあらず、ただ良政の下に立つべき良民乏しきのみ。為政の大趣意は、その国の風俗、人民の智愚にしたがい、その時に行わるべき最上の政を最上とするのみ。ゆえにこの国にしてこの政あり、かの国にしてかの政あり。国の・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・必ずしも一人の君主または頭取が独り暴威を逞しうして、悉皆他の人民を窘しむるがためにあらず。衆庶の力を集めてこれを政府となしまたは会社と名づけ、その集まりたる勢力を以て各個人の権を束縛し、以てその自由を妨ぐるものなり。この勢力を名づけて政府の・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・野蛮の無為、徳川の泰平の如きは、当時その人民の心身、安はすなわち安なりといえども、その安は身外の事物、我に向って愉快を呈するに非ず。外の事物の性質にかかわらずして、我が心身にこれを愉快なりと思うものにすぎず。すなわち万民安堵、腹を鼓して足る・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ 民間に学校を設けて人民を教育せんとするは、余輩、積年の宿志なりしに、今、京都に来り、はじめてその実際を見るを得たるは、その悦、あたかも故郷に帰りて知己朋友に逢うが如し。おおよそ世間の人、この学校を見て感ぜざる者は、報国の心なき人という・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・まして日本の如き、その文明の実価はともかくも、西洋流の文明についてはすべて不案内なるこの人民に向い、高尚なる学校教場の知見を丸出しにして実地の用に適せしめんとするも、浮世のように行わるべからざるは明白なる時勢とも心付かずして、我が国人は教育・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・けらいや人民ははじめは堪えていたけれどもついには国も亡びそうになったので大王を山へ追い申したのだ。大王はお妃と王子王女とただ四人で山へ行かれた。大きな林にはいったとき王子たちは林の中の高い樹の実を見てああほしいなあと云われたのだ。そのとき大・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・裁判の方針はこちらの世界の人民が向うの世界になるべく顔を出さぬように致したいのでございます。」「わかりました。それではすぐやります。」 ネネムはまっ白なちぢれ毛のかつらを被って黒い長い服を着て裁判室に出て行きました。部下がもう三十人・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
宮本顕治には、これまで四冊の文芸評論集がある。『レーニン主義文学闘争への道』『文芸評論』『敗北の文学』『人民の文学』。治安維持法と戦争との長い年月の間はじめの二冊の文芸評論集は発禁になっていた。著者が十二年間の獄中生活から・・・ 宮本百合子 「巖の花」
出典:青空文庫