一 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合っていました。「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・第一人相が、――人相じゃない。犬相だが、――犬相が甚だ平凡だよ。」 もう酔のまわった牧野は、初めの不快も忘れたように、刺身なぞを犬に投げてやった。「あら、あの犬によく似ているじゃありませんか? 違うのは鼻の色だけですわ。」「何、・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・これは、こっちも退屈している際だから、話しかけたいのは山々だが、相手の男の人相が、甚だ、無愛想に見えたので、暫く躊躇していたのである。 すると、角顋の先生は、足をうんと踏みのばしながら、生あくびを噛みつぶすような声で、「ああ、退屈だ。」・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・(や、爺と、姉さんと二人して、潟に放いて、放生会をさっしゃりたそうな人相じゃがいの、ほん、ほん。おはは。」 と笑いながら、ちょろちょろ滝に、畚をぼちゃんとつけると、背を黒く鮒が躍って、水音とともに鰭が鳴った。「憂慮をさっしゃるな。割・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 人相と言い、場合と申し、ズドンとやりかねない勢いでごさいますから、画師さんは面喰らったに相違ございますまい。(天罰は立ち処じゃ、足四本、手四つ、顔で、代官婆は、近所の村方四軒というもの、その足でたたき起こして廻って、石松が鉄砲を向けた・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ が、骨相学や人相術が真理なら、風の似通っている二人は性格の上にもドコかに共通点がありそうなもんだが、事実は性格が全く相反対していた。二葉亭にもし山本伯の性格の一割でもあったら、アンナにヤキモキ悶えたり焦々したりして神経衰弱などに罹らな・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・習慣でしぜん客の人相を見る姿勢に似たが、これが自分を苦しめて来た男の顔かと、心は安らかである筈もなかった。眼の玉が濡れたように薄茶色を帯びて、眉毛の生尻が青々と毛深く、いかにも西洋人めいた生々しい逞しさは、五年前と変っていない。眼尻の皺もな・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・まだまだこんな人相をしてるようでは金なぞ儲けれはせん。生活を立てているという盛りの男の顔つきではない。やっぱしよたよたと酒ばかし喰らっては、悪遊びばかししていたに違いない」腹ではこう思っているのであった。こうした男にいつまでも義理立てしてい・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・日影、そよぐ潮風、げに春ゆきて夏来たりぬ、楽しかるべき夏来たりぬ、ただわれらの春の永久に逝きしをいかにせん――下 時は果たして来たりぬ、ただ貴嬢もわれも二郎もかかる時かかるところにて三人相あうべしとは想いもよらず。 時は・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・山々の麓には村あり、村々の奥には墓あり、墓はこの時覚め、人はこの時眠り、夢の世界にて故人相まみえ泣きつ笑いつす。影のごとき人今しも広辻を横ぎりて小橋の上をゆけり。橋の袂に眠りし犬頭をあげてその後影を見たれど吠えず。あわれこの人墓よりや脱け出・・・ 国木田独歩 「源おじ」
出典:青空文庫